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再び急行「はまなす」の旅(その1):石勝線夕張支線と、鹿ノ谷駅・清水沢駅
主に青春18きっぷを利用した「駅弁」と少し「呑み鉄」、そして時々「撮り鉄」の旅を名古屋からお届けします。2016年3月6日(日)から3月8日(火)にかけて、昨年12月に続き、再び急行「はまなす」に乗ってきましたので、その様子をお知らせします。
⇒石勝線夕張支線と、鹿ノ谷駅・清水沢駅(←今ここ)
⇒石勝線の廃止駅、十三里駅・東追分駅
⇒急行はまなす、既に思い出の旅に
⇒廃止の特急白鳥(485系&スーパー白鳥)を撮影
⇒津軽線大平駅&奥津軽いまべつ駅の様子
⇒津軽鉄道ストーブ列車の料金、朝からスルメとビール
⇒津軽鉄道のストーブ列車&放置車両を撮影
いよいよ開業までカウントダウンが始まった北海道新幹線。それに先立って消える急行「はまなす」に乗車したいと考え、2月6日の午前10時にみどりの窓口に並んだところ、何とか寝台券を入手することができました。しかし下段はすでに満席、週末を中心に混雑しているようです。
往路は飛行機で出発です。スカイマークを利用、料金は「いま割」で何と6310円。こうなると、用事がなくても無駄に北海道に行きたくなります。
(新千歳空港到着。気温が高く、雪ではなく雨が降っていました。)
その一方、こうした割引料金の利用が日常化している今日、北海道新幹線が料金で航空機に対抗できるのかが気になるところです。もちろん名古屋から函館については、飛行機利用が今後も一般的であることは変わらないでしょう。
定刻、新千歳空港到着。今回の旅の主目的は急行「はまなす」に乗ること。夜10時の札幌発車まで時間があります。そこで3月26日のダイヤ改正で廃止となる石勝線の東追分駅と十三里駅を訪れるとともに、久しぶりに石勝線夕張支線に乗ることにします。
普通列車でも乗降を繰り返していると、意外に運賃が馬鹿になりません。新千歳空港駅からは青春18きっぷを利用することにします。
ダイヤ改正で姿を消す旭川直通の快速「エアポート」。新千歳空港駅で。
いつ乗っても混んでいる印象の快速「エアポート」。今回乗った103号は旭川直通で特急電車の5両編成で他より1両少なく、いつも以上に混んでいます。ダイヤ改正でこの旭川直通は廃止され、6両編成の電車になるようですが、妥当な措置でしょう。
●訪問目的の駅が赤い矢印、青い矢印は夕張支線の終点駅。
3分の乗車で南千歳駅着。ここで乗り換えですが、ホームで駅弁を買うことにします。ここ南千歳駅ホームと苫小牧駅で駅弁を販売しているのは株式会社「まるい弁当」。私としては、ここの駅弁は北海道内で最高峰の味と感じていますし、目移りするほど種類が豊富なのも嬉しいところです。
早速、2種類購入します。ちなみに改札外キオスクでは、「まるい弁当」の駅弁はなく、新千歳空港駅の駅弁が置いてありました。
南千歳駅ホームの駅弁売店。こうしたホームの売店も少なくなりました。
南千歳駅から乗車した新夕張行はキハ40の単行。お客さんはボックス席1~2名程度で、半数以上は旅行者のようです。(⇒参考:参宮線・国鉄色や国鉄型など(キハ40)を撮影)
ボックス席を占拠(?)できましたので、早速、「汐彩弁当」をいただきます。サーモン寿司やほっき貝などの詰め合わせ。どの食材もそれぞれが非常に美味しく、ビールと相まって旅が楽しくなります。
南千歳駅弁「汐彩弁当」(まるい弁当・1,150円)
追分駅で地元客の多くが下車、旅行者(鉄道趣味の方?)度数が高くなります。新夕張で乗り換え、12:20着の鹿ノ谷駅で下車し、急いで駅舎を出て駅北側の跨線橋を駆け上り、停車中の列車を撮影します。
雪が積もっており、滑りやすいので、余りおススメできない行為です。もちろん滑って転んでも、列車の運行には何一つ影響はありません。
鹿ノ谷駅。停車中の列車はここまで乗って来た2635D夕張行。広い構内を有し、1975年(昭和50年)までは夕張鉄道も乗り入れていました。現在、その面影はありません。
夕張行を後追いで撮影。
鹿ノ谷駅。無人駅で、次の列車が来るまでお客さんの姿はありませんでした。
鹿ノ谷駅の時刻表。3月26日のダイヤ改正で、運行本数は半減に近い5往復となる見込みです。
駅周辺は人家もありますが、国道を通る自動車の音以外は、眠ったように静かです。そんな中、ゆっくりと千歳行の列車が到着。隣の駅、清水沢まで乗車します。
12:42、清水沢駅着。1987年(昭和62年)まで三菱大夕張鉄道も運行されていたので、駅の広い構内にその辺りの面影があるように感じます。しかし駅は昨年10月に窓口が廃止され無人駅となり、跨線橋も廃止されて久しいようです。駅前には商店がありますが、歩いている人はいません。
広めの駅舎内には大夕張鉄道や清水沢駅とその周辺の歴史に関するパネル展示があり、これは一見の価値あり。炭鉱で栄えた時代を知ることが出来ます。
とはいえ、この駅周辺の最後の炭鉱(三菱南大夕張炭鉱)の閉山は平成になってからであり、私も初めての北海道旅行で石勝線に乗った際、石炭列車とすれ違った記憶があります。それほど大昔のことではないにもかかわらず、静かな町を歩くと、なかなか栄華の時代を実感することは出来ません。
清水沢駅。1面1線のホームと駅舎の間には何本もの側線がありました。
1956年(昭和31年)建築の清水沢駅駅舎。タクシー常駐です。
清水沢駅駅舎内。
清水沢から13:08夕張行に乗車。年配の方1名と一緒に乗車、しかし新夕張での接続列車の関係か、車内の乗客は私も含めてたったの4名です。
13:23夕張駅到着。2度の移転を経た現在の駅に、歴史の重みはありません。駅はホテルマウントレースイに隣接、というかホテルの敷地に間借りしているような感じです。
ホテル利用に便利なことこの上なく、夕張支線の旅の折には泊まりたいですし、日帰り温泉もありようなので今回、計画変更も考えましたが、そうすると廃止予定駅に行けなくなるので断念です。
夕張駅。右がホテルマウントレースイ。
夕張駅駅舎。ホテル駐車場に間借り?
夕張支線、鹿ノ谷駅と清水沢駅の広い構内に、かつての夕張の栄華の時代を垣間見ることができました。こうした歴史を知る施設として「石炭の歴史村」がありますが、今は冬期休業中のうえ、営業期間中も団体のみの受付のようで、非常に残念です。
ご存知のとおり夕張市は財政再建団体に指定されており、なかなか難しいところですが、夕張の歴史はそれ自体に価値があるので、気軽にその一端を知ることができる施設や機会があると良いのではと感じました。
⇒続き:石勝線の廃止駅、十三里駅・東追分駅
※2018年末に当地を再訪した記録もアップしております。以下も、あわせて参考にして下さい。
⇒参考:鹿ノ谷駅で夕張支線を撮影
⇒参考:路線バスで南清水沢駅・清水沢駅へ
⇒石勝線夕張支線と、鹿ノ谷駅・清水沢駅(←今ここ)
⇒石勝線の廃止駅、十三里駅・東追分駅
⇒急行はまなす、既に思い出の旅に
⇒廃止の特急白鳥(485系&スーパー白鳥)を撮影
⇒津軽線大平駅&奥津軽いまべつ駅の様子
⇒津軽鉄道ストーブ列車の料金、朝からスルメとビール
⇒津軽鉄道のストーブ列車&放置車両を撮影
いよいよ開業までカウントダウンが始まった北海道新幹線。それに先立って消える急行「はまなす」に乗車したいと考え、2月6日の午前10時にみどりの窓口に並んだところ、何とか寝台券を入手することができました。しかし下段はすでに満席、週末を中心に混雑しているようです。
往路は飛行機で出発です。スカイマークを利用、料金は「いま割」で何と6310円。こうなると、用事がなくても無駄に北海道に行きたくなります。
(新千歳空港到着。気温が高く、雪ではなく雨が降っていました。)
その一方、こうした割引料金の利用が日常化している今日、北海道新幹線が料金で航空機に対抗できるのかが気になるところです。もちろん名古屋から函館については、飛行機利用が今後も一般的であることは変わらないでしょう。
新千歳空港駅から姿を消す、旭川直通の快速エアポート
定刻、新千歳空港到着。今回の旅の主目的は急行「はまなす」に乗ること。夜10時の札幌発車まで時間があります。そこで3月26日のダイヤ改正で廃止となる石勝線の東追分駅と十三里駅を訪れるとともに、久しぶりに石勝線夕張支線に乗ることにします。
普通列車でも乗降を繰り返していると、意外に運賃が馬鹿になりません。新千歳空港駅からは青春18きっぷを利用することにします。
ダイヤ改正で姿を消す旭川直通の快速「エアポート」。新千歳空港駅で。
いつ乗っても混んでいる印象の快速「エアポート」。今回乗った103号は旭川直通で特急電車の5両編成で他より1両少なく、いつも以上に混んでいます。ダイヤ改正でこの旭川直通は廃止され、6両編成の電車になるようですが、妥当な措置でしょう。
●訪問目的の駅が赤い矢印、青い矢印は夕張支線の終点駅。
【乗車データ】 ・新千歳空港10:18→南千歳10:21 クハ789-2007 5両 ・南千歳10:37→新夕張11:50 キハ40-1784 1両 ・新夕張11:56→鹿ノ谷12:20 キハ40-1701 1両 ・鹿ノ谷12:34→清水沢12:42 キハ40-1701 1両 ・清水沢13:08→夕張13:23 キハ40-1784 1両 |
南千歳駅弁「汐彩弁当」を購入!
3分の乗車で南千歳駅着。ここで乗り換えですが、ホームで駅弁を買うことにします。ここ南千歳駅ホームと苫小牧駅で駅弁を販売しているのは株式会社「まるい弁当」。私としては、ここの駅弁は北海道内で最高峰の味と感じていますし、目移りするほど種類が豊富なのも嬉しいところです。
早速、2種類購入します。ちなみに改札外キオスクでは、「まるい弁当」の駅弁はなく、新千歳空港駅の駅弁が置いてありました。
南千歳駅ホームの駅弁売店。こうしたホームの売店も少なくなりました。
南千歳駅から乗車した新夕張行はキハ40の単行。お客さんはボックス席1~2名程度で、半数以上は旅行者のようです。(⇒参考:参宮線・国鉄色や国鉄型など(キハ40)を撮影)
ボックス席を占拠(?)できましたので、早速、「汐彩弁当」をいただきます。サーモン寿司やほっき貝などの詰め合わせ。どの食材もそれぞれが非常に美味しく、ビールと相まって旅が楽しくなります。
南千歳駅弁「汐彩弁当」(まるい弁当・1,150円)
石勝線の夕張支線、鹿ノ谷駅を撮影
追分駅で地元客の多くが下車、旅行者(鉄道趣味の方?)度数が高くなります。新夕張で乗り換え、12:20着の鹿ノ谷駅で下車し、急いで駅舎を出て駅北側の跨線橋を駆け上り、停車中の列車を撮影します。
雪が積もっており、滑りやすいので、余りおススメできない行為です。もちろん滑って転んでも、列車の運行には何一つ影響はありません。
鹿ノ谷駅。停車中の列車はここまで乗って来た2635D夕張行。広い構内を有し、1975年(昭和50年)までは夕張鉄道も乗り入れていました。現在、その面影はありません。
夕張行を後追いで撮影。
鹿ノ谷駅。無人駅で、次の列車が来るまでお客さんの姿はありませんでした。
鹿ノ谷駅の時刻表。3月26日のダイヤ改正で、運行本数は半減に近い5往復となる見込みです。
駅周辺は人家もありますが、国道を通る自動車の音以外は、眠ったように静かです。そんな中、ゆっくりと千歳行の列車が到着。隣の駅、清水沢まで乗車します。
石勝線の夕張支線、清水沢駅を撮影
12:42、清水沢駅着。1987年(昭和62年)まで三菱大夕張鉄道も運行されていたので、駅の広い構内にその辺りの面影があるように感じます。しかし駅は昨年10月に窓口が廃止され無人駅となり、跨線橋も廃止されて久しいようです。駅前には商店がありますが、歩いている人はいません。
広めの駅舎内には大夕張鉄道や清水沢駅とその周辺の歴史に関するパネル展示があり、これは一見の価値あり。炭鉱で栄えた時代を知ることが出来ます。
とはいえ、この駅周辺の最後の炭鉱(三菱南大夕張炭鉱)の閉山は平成になってからであり、私も初めての北海道旅行で石勝線に乗った際、石炭列車とすれ違った記憶があります。それほど大昔のことではないにもかかわらず、静かな町を歩くと、なかなか栄華の時代を実感することは出来ません。
清水沢駅。1面1線のホームと駅舎の間には何本もの側線がありました。
1956年(昭和31年)建築の清水沢駅駅舎。タクシー常駐です。
清水沢駅駅舎内。
清水沢から13:08夕張行に乗車。年配の方1名と一緒に乗車、しかし新夕張での接続列車の関係か、車内の乗客は私も含めてたったの4名です。
石勝線の夕張支線、夕張駅を見物
13:23夕張駅到着。2度の移転を経た現在の駅に、歴史の重みはありません。駅はホテルマウントレースイに隣接、というかホテルの敷地に間借りしているような感じです。
ホテル利用に便利なことこの上なく、夕張支線の旅の折には泊まりたいですし、日帰り温泉もありようなので今回、計画変更も考えましたが、そうすると廃止予定駅に行けなくなるので断念です。
夕張駅。右がホテルマウントレースイ。
夕張駅駅舎。ホテル駐車場に間借り?
夕張支線、鹿ノ谷駅と清水沢駅の広い構内に、かつての夕張の栄華の時代を垣間見ることができました。こうした歴史を知る施設として「石炭の歴史村」がありますが、今は冬期休業中のうえ、営業期間中も団体のみの受付のようで、非常に残念です。
ご存知のとおり夕張市は財政再建団体に指定されており、なかなか難しいところですが、夕張の歴史はそれ自体に価値があるので、気軽にその一端を知ることができる施設や機会があると良いのではと感じました。
⇒続き:石勝線の廃止駅、十三里駅・東追分駅
※2018年末に当地を再訪した記録もアップしております。以下も、あわせて参考にして下さい。
⇒参考:鹿ノ谷駅で夕張支線を撮影
⇒参考:路線バスで南清水沢駅・清水沢駅へ