廃線となった深名線と名寄本線の思い出

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道央道北・乗り鉄の旅(その15):深名線と名寄本線・廃線前の思い出

主に青春18きっぷを利用した「駅弁」と少し「呑み鉄」、そして時々「撮り鉄」の旅を名古屋からお届けします。

昨年(2016年)11月、JR北海道から「当社単独で維持することが困難な路線」として、13線区が発表されました。半ば予想された展開とは言え、こうなると乗りたくなる浅はかな私。2017年3月、宗谷本線などへの「乗り鉄」の旅に出掛けました。



鹿ノ谷駅の時刻表が物語る夕張支線
夕張市内を歩く
石勝線・夕張支線の乗車記録
札沼線・豊ヶ岡駅を再度訪問してきた
新十津川駅で写真を撮る
滝川駅で写真を撮る
留萌本線・末端区間廃止後の初の乗車
沿岸バスの旅・留萌~羽幌まで
沿岸バスの旅・羽幌~豊富まで
宗谷本線・豊富駅~南稚内まで
バスでノシャップ岬・雄大な利尻富士
稚内駅周辺を徘徊
宗谷本線の車窓・絶景と秘境駅を眺めながら(その1)
宗谷本線の車窓・絶景と秘境駅を眺めながら(その2)
⇒深名線と名寄本線・廃線前の思い出(←今ここ
宗谷本線の名寄から帰宅へ





名寄駅と名寄本線の記録


さて、この宗谷本線の旅で旭川行に乗り換える名寄駅は、かつては名寄本線と深名線が分岐する、まさに鉄道の要衝でした。貫禄のある木造駅舎は今も健在ですが、名寄本線は 1989年4月30日の営業を最後に廃止、深名線も1995年9月4日の営業をもって廃止されています。

名寄本線は廃止の2か月ほど前に1回だけ乗車、深名線は廃止後の代替バスを含めて数回乗車しています。今回の旅からは脱線しますが、在りし日の名寄本線と深名線をご紹介します。

名寄駅を発車した14系の急行「天北」(1987年)
名寄駅を発車した14系時代の急行「天北」です。(1987.8.24)

急行「宗谷」の回送車(1989年)
名寄本線乗車前に撮影した上り急行「宗谷」の回送車。名寄駅で1両増結されていました。(1989.3.8)

急行「宗谷」札幌行(1989年)
増結され5両編成で名寄駅を発車した急行「宗谷」札幌行。所定では4両、名寄までは3両編成ですが、キハ56が増結されています。また当時はキハ22も珍しくはありませんでした。(1989.3.8)

名寄駅の記念スタンプ
主な駅に記念スタンプが設置されていました。

紋別駅で交換する名寄本線の列車
紋別駅で交換する名寄本線の列車。廃止まで2か月を切っていたのですが、車内はそれほど混んではいませんでした。当時、道内各地で廃線が相次ぎ、珍しくなくなっていたためでしょうか。今思えば、もっと乗っておけば良かったのですが、手が回りませんでした。 (1989.3.8)

名寄本線中湧別駅の時刻表
名寄本線中湧別駅の時刻表。遠軽行は10本も発車していました。今の留萌本線より本数が多いです。その一方で盲腸線であった湧別行はたったの2往復でした。 遠軽~紋別、下川~名寄間だけでも第三セクターで残すという案もあったそうですが、池北線と同じ運命となってしまっていたようにも思います。

なお現在の代替バスは、運行会社の違いからか、興部と紋別で路線が分断されています。名寄~遠軽間の直通需要はないと思われますが、羽幌線代替バスの運行形態が列車の面影を残していることを考えると、重ね重ね沿岸バスの偉大さを感じます。 (1989.3.8)

名寄本線湧別駅の外観
2往復ながら簡易委託駅であった湧別駅です。(1989.3.8)


参考名寄本線の興部駅の跡地・道の駅のルゴーサエクスプレスは宿泊が無料!


【乗車記録】

・旭川8:49→名寄9:57 急行「礼文」 キハ54-528 2両
・名寄12:10→中湧別14:56 キハ40-192 1両
・中湧別16:16→湧別16:24 キハ22-137 1両
・湧別16:29→遠軽17:04 キハ22-137 1両
・遠軽19:01→札幌22:34 特急「オホーツク8号」 キハ183-8 6両





廃線となった深名線の記録も


深名線の湖畔駅(1990年)
こちらは深名線の湖畔駅。今なら秘境駅上位入賞間違いなしです。名寄~朱鞠内間の列車は3往復、日中は朱鞠内での深川行の待ち時間が長く、時間潰しにこの駅から朱鞠内湖まで歩いたものです。(1990.2.23)

深名線の代替えバスの湖畔バス停
廃線後の代替バスにも乗ってみました。湖畔バス停は旧駅とは違って、朱鞠内湖の湖畔に設置されました。廃止後は列車に対して、バスの運行本数は倍増しましたが、ご多聞に漏れず、2002年には大幅に本数が削減されています。実際にこの時も、お客さんの姿はほとんどありませんでした。(1999.7.10)

深名線・名寄~朱鞠内の時刻表
時刻表1994年11月号の深名線名寄口の時刻表です。廃止の前年です。

深名線・朱鞠内~深川の時刻表
こちらは同じく朱鞠内~深川間の深名線時刻表です。名寄8:10発の列車に乗ると、朱鞠内で約5時間の待ち合わせとなります。

深名線の朱鞠内駅
朱鞠内駅です。豪雪地帯の路線であることから、2台エンジンのキハ56を両運転台に改造したキハ53が使用されていました。(1990.2.23)

廃止前年の朱鞠内駅
廃止前年の朱鞠内駅。翌日から5月というのに、周囲は雪に覆われていました。 (1994.4.30)

深名線の朱鞠内駅での列車交換
列車交換は、朱鞠内と幌加内で行われていました。(1994.4.30)

朱鞠内駅の外観と、入場券
朱鞠内駅駅舎と、入場券です。深名線は通票閉塞で、列車交換駅である朱鞠内駅と幌加内駅に職員が配置されていました。(1994.4.30)

深名線の廃線後の朱鞠内駅
鉄道の廃止後の朱鞠内駅舎です。しばらくはバスの待合所として利用されていましたが、 2000年に撤去され、バス待合所が新築されています。カラープリントの経年劣化により色調が悪く、申し訳ありません。(1999.7.10)

廃線後の朱鞠内駅構内
朱鞠内では路盤とホームが残されていましたが、こちらも現在は整地されているようです。 (1999.7.10)

幌加内駅の外観
交換駅であった幌加内駅です。この駅舎も現存していません。(1990.2.23)

幌加内駅のタブレットの取り扱い
幌加内駅でのタブレット取扱い。(1990.2.23)


深名線は冬期の代替となる道路が未整備との理由で、国鉄再建法の特定地方交通線の廃止対象とならず、延命した特殊な例でした。そのため、末期には乗客の多くが鉄分の濃い旅行者だった印象です。

深名線に対し、名寄本線、特に紋別~遠軽間は地元の方や遠軽で特急に乗り換える用務客で、それなりにお客さんが乗っていました。

特急列車運行有無の違いはありますが、今回乗車した宗谷本線の名寄以北の普通列車は地元や用務客の姿がほとんどなく、往時の特定地方交通線よりも厳しいような状況を、目の当たりにした思いでした。


⇒次:宗谷本線の名寄から帰宅へ


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