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道央道北・乗り鉄の旅(その7):留萌本線・末端区間廃止後の初の乗車
主に青春18きっぷを利用した「駅弁」と少し「呑み鉄」、そして時々「撮り鉄」の旅を名古屋からお届けします。
昨年(2016年)11月、JR北海道から「当社単独で維持することが困難な路線」として、13線区が発表されました。半ば予想された展開とは言え、こうなると乗りたくなる浅はかな私。2017年3月、宗谷本線などへの「乗り鉄」の旅に出掛けました。
⇒鹿ノ谷駅の時刻表が物語る夕張支線
⇒夕張市内を歩く
⇒石勝線・夕張支線の乗車記録
⇒札沼線・豊ヶ岡駅を再度訪問してきた
⇒新十津川駅で写真を撮る
⇒滝川駅で写真を撮る
⇒留萌本線・末端区間廃止後の初の乗車(←今ここ)
⇒沿岸バスの旅・留萌~羽幌まで
⇒沿岸バスの旅・羽幌~豊富まで
⇒宗谷本線・豊富駅~南稚内まで
⇒バスでノシャップ岬・雄大な利尻富士
⇒稚内駅周辺を徘徊
⇒宗谷本線の車窓・絶景と秘境駅を眺めながら(その1)
⇒宗谷本線の車窓・絶景と秘境駅を眺めながら(その2)
⇒深名線と名寄本線・廃線前の思い出
⇒宗谷本線の名寄から帰宅へ

「スーパー白鳥」もとい、特急「ライラック」は11:05に深川到着。同じホームの向かい側に停車中の留萌行に乗り換えます。
11:08発留萌行の車内で、本サイト「鉄宿!」管理人のP氏と合流。私の旅にお付き合い下さるというのは、誠に酔狂・・・もとい、大変有難いことです。
私は留萌行の発車ギリギリの乗車となりましたが、P氏は1時間も前に到着したとのこと、キハ54の集団見合い式クロスシートの中央のテーブル付き4人掛けシートに座ることが出来ました。
ところで北海道のキハ54(500番台)は、当初はボックスシートでした。2人掛けシートへの改造はサービス向上の目的と思われますが、集団見合い式の固定シートで、半分の席が進行方向と逆になるうえ、大半の席が窓の位置と合っておらず、非常に残念な結果となっています。
増毛廃止前、昨年7月に乗車した折には、やはり発車ギリギリであったため満席で座ることができませんでした。それに対し、本日は空席が目立ち拍子抜けですが、これが普段の姿なのでしょう。2両のうち、後部1両が回送扱いというのも、増毛廃止前と変わっていません。
さてこの留萌本線は、輸送密度が200人未満であり、JR北海道として「バス等への転換について、地域の皆様と相談を開始したい。」線区のひとつです。
終点の留萌は、炭鉱の閉山や近年の水産加工業の衰退等で人口減が著しいながら、市の人口は約2万2千人です。こうした都市を結ぶ路線が廃線候補とは、少々面妖に感じますが、大部分が供用されている深川留萌自動車道の影響が大きいのでしょう。
さて列車は、石狩沼田で地元の方が下車された後は、お客さんの乗降はなく、恵比島から山間部の峠越区間となります。
同行のP氏は例によって道路地図持参。車窓との照合に余念がなく、ただぼんやりと流れる景色を眺めている私とは大違いで、印象深い旅となることでしょう。私も見習いたいと思いつつも、この年齢になるとなかなか習慣を変えることは難しいものです。

「明日萌駅」こと恵比島駅。この建物は1998年、NHKの連続テレビ小説『すずらん』撮影用に設置されたセットで、本当の駅舎は左隣りの貨車駅(木製板でカモフラージュ)です。撮影用のセットながら、今日まで保存されているのは驚きです。

こちらは2000年7月に撮影した「明日萌駅」です。当時運行されていたSL列車に乗車し、この駅ではしばらく停車したため降り立ちました。観光地として大いに盛り上がっていました。

駅前にあった旅館のセットです。現在も残っているのでしょうか。

貨車駅の幌糠。峠下駅を過ぎると、山の中から周囲が少し開けて、農家や住宅も見られるようになります。同時に深川留萌自動車道を、列車から望むことができるようになります。高規格道路を目の当たりにして、留萌本線の存続に対し、P氏とともに非常に厳しいことを実感しました。

木造駅舎が残る藤山駅ですが、旧事務室部分が撤去され、待合室部分のみが残っています。

貨車駅の大和田駅です。終点、留萌駅のひとつ手前ながら、閑散としています。

12:06、終点の留萌駅に到着。後部の車両は12:17発の深川行で折り返し、前部だった車両は13:30発の深川行となるようです。昨年12月までは、前部の車両が増毛まで往復していました。

留萌駅で撮影した「SLすずらん号」。1999年から運行され、年々運転日数を減らしながら、2006年まで運行されました。(2000.7.23)

右の列車は、中間車が特急用車両キハ182で、両側の先頭車が夜行快速列車用キハ27という奇妙な編成の臨時快速「増毛ライナー」です。深川から増毛までの列車で、留萌本線が最後の輝きを放っていた頃といえましょう。(2000.7.23)
少ない下車客がいなくなると駅舎は閑散とします。ここで、私は沿岸バスの留萌駅前待合所に急ぎ(窓口の営業が土曜日は12:30までなので…)、フリー切符を購入。P氏は駅舎内の立ち食い蕎麦屋で、予約してあった駅弁を受領。
この駅弁「にしんおやこ」についての詳細はP氏の別稿に譲りますが、幻とも言える希少価値を差し引いても、道内駅弁の最高峰の味でした。まさに、かつて数の子加工で栄えた留萌の面目躍如といったところです。
ところで前述のように駅舎内は閑散としているものの、この立ち食い蕎麦屋には1人、2人と途切れることなくお客さんが来店するのには感心しました。ちょうどお昼という時間帯もありましょうが、隠れた名店(?)のようです。

硬券入場券が販売されていました。当然ながら、かつて販売されていた増毛駅の入場券は、ありませんでした。

⇒次:沿岸バス・留萌から羽幌までのバス旅
昨年(2016年)11月、JR北海道から「当社単独で維持することが困難な路線」として、13線区が発表されました。半ば予想された展開とは言え、こうなると乗りたくなる浅はかな私。2017年3月、宗谷本線などへの「乗り鉄」の旅に出掛けました。
⇒鹿ノ谷駅の時刻表が物語る夕張支線
⇒夕張市内を歩く
⇒石勝線・夕張支線の乗車記録
⇒札沼線・豊ヶ岡駅を再度訪問してきた
⇒新十津川駅で写真を撮る
⇒滝川駅で写真を撮る
⇒留萌本線・末端区間廃止後の初の乗車(←今ここ)
⇒沿岸バスの旅・留萌~羽幌まで
⇒沿岸バスの旅・羽幌~豊富まで
⇒宗谷本線・豊富駅~南稚内まで
⇒バスでノシャップ岬・雄大な利尻富士
⇒稚内駅周辺を徘徊
⇒宗谷本線の車窓・絶景と秘境駅を眺めながら(その1)
⇒宗谷本線の車窓・絶景と秘境駅を眺めながら(その2)
⇒深名線と名寄本線・廃線前の思い出
⇒宗谷本線の名寄から帰宅へ

「スーパー白鳥」もとい、特急「ライラック」は11:05に深川到着。同じホームの向かい側に停車中の留萌行に乗り換えます。
増毛廃止後の留萌本線を乗り鉄
11:08発留萌行の車内で、本サイト「鉄宿!」管理人のP氏と合流。私の旅にお付き合い下さるというのは、誠に酔狂・・・もとい、大変有難いことです。
私は留萌行の発車ギリギリの乗車となりましたが、P氏は1時間も前に到着したとのこと、キハ54の集団見合い式クロスシートの中央のテーブル付き4人掛けシートに座ることが出来ました。
ところで北海道のキハ54(500番台)は、当初はボックスシートでした。2人掛けシートへの改造はサービス向上の目的と思われますが、集団見合い式の固定シートで、半分の席が進行方向と逆になるうえ、大半の席が窓の位置と合っておらず、非常に残念な結果となっています。
増毛廃止前、昨年7月に乗車した折には、やはり発車ギリギリであったため満席で座ることができませんでした。それに対し、本日は空席が目立ち拍子抜けですが、これが普段の姿なのでしょう。2両のうち、後部1両が回送扱いというのも、増毛廃止前と変わっていません。
さてこの留萌本線は、輸送密度が200人未満であり、JR北海道として「バス等への転換について、地域の皆様と相談を開始したい。」線区のひとつです。
終点の留萌は、炭鉱の閉山や近年の水産加工業の衰退等で人口減が著しいながら、市の人口は約2万2千人です。こうした都市を結ぶ路線が廃線候補とは、少々面妖に感じますが、大部分が供用されている深川留萌自動車道の影響が大きいのでしょう。
さて列車は、石狩沼田で地元の方が下車された後は、お客さんの乗降はなく、恵比島から山間部の峠越区間となります。
同行のP氏は例によって道路地図持参。車窓との照合に余念がなく、ただぼんやりと流れる景色を眺めている私とは大違いで、印象深い旅となることでしょう。私も見習いたいと思いつつも、この年齢になるとなかなか習慣を変えることは難しいものです。

「明日萌駅」こと恵比島駅。この建物は1998年、NHKの連続テレビ小説『すずらん』撮影用に設置されたセットで、本当の駅舎は左隣りの貨車駅(木製板でカモフラージュ)です。撮影用のセットながら、今日まで保存されているのは驚きです。

こちらは2000年7月に撮影した「明日萌駅」です。当時運行されていたSL列車に乗車し、この駅ではしばらく停車したため降り立ちました。観光地として大いに盛り上がっていました。

駅前にあった旅館のセットです。現在も残っているのでしょうか。

貨車駅の幌糠。峠下駅を過ぎると、山の中から周囲が少し開けて、農家や住宅も見られるようになります。同時に深川留萌自動車道を、列車から望むことができるようになります。高規格道路を目の当たりにして、留萌本線の存続に対し、P氏とともに非常に厳しいことを実感しました。

木造駅舎が残る藤山駅ですが、旧事務室部分が撤去され、待合室部分のみが残っています。

貨車駅の大和田駅です。終点、留萌駅のひとつ手前ながら、閑散としています。

12:06、終点の留萌駅に到着。後部の車両は12:17発の深川行で折り返し、前部だった車両は13:30発の深川行となるようです。昨年12月までは、前部の車両が増毛まで往復していました。

留萌駅で撮影した「SLすずらん号」。1999年から運行され、年々運転日数を減らしながら、2006年まで運行されました。(2000.7.23)

右の列車は、中間車が特急用車両キハ182で、両側の先頭車が夜行快速列車用キハ27という奇妙な編成の臨時快速「増毛ライナー」です。深川から増毛までの列車で、留萌本線が最後の輝きを放っていた頃といえましょう。(2000.7.23)
少ない下車客がいなくなると駅舎は閑散とします。ここで、私は沿岸バスの留萌駅前待合所に急ぎ(窓口の営業が土曜日は12:30までなので…)、フリー切符を購入。P氏は駅舎内の立ち食い蕎麦屋で、予約してあった駅弁を受領。
この駅弁「にしんおやこ」についての詳細はP氏の別稿に譲りますが、幻とも言える希少価値を差し引いても、道内駅弁の最高峰の味でした。まさに、かつて数の子加工で栄えた留萌の面目躍如といったところです。
ところで前述のように駅舎内は閑散としているものの、この立ち食い蕎麦屋には1人、2人と途切れることなくお客さんが来店するのには感心しました。ちょうどお昼という時間帯もありましょうが、隠れた名店(?)のようです。

硬券入場券が販売されていました。当然ながら、かつて販売されていた増毛駅の入場券は、ありませんでした。

【乗車記録】 ・深川11:09→留萌12:06 キハ54-513 2両 |
⇒次:沿岸バス・留萌から羽幌までのバス旅