750V時代の「上田交通」の様々な車両の記録

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上田電鉄としなの鉄道の旅(その2)・・・750V時代の「上田交通」車両の記録

主に青春18きっぷを利用した「駅弁」と少し「呑み鉄」、そして時々「撮り鉄」の旅を名古屋からお届けします。今回は引退迫る上田電鉄7200系撮影と、115系の復刻塗装で話題のしなの鉄道の旅です。

名古屋から中央線・小海線経由で上田電鉄へ
⇒750V時代の「上田交通」車両の記録(←今ここ
八木沢駅付近で上田電鉄を撮影
引退間近の上田電鉄7200系に乗車
篠ノ井線・稲荷山駅付近で189系を撮影
しなの鉄道・平原駅付近で湘南色115系を撮影
しなの鉄道・御代田付近で湘南色115系を撮影
軽井沢から、しなの鉄道と18きっぷで名古屋へ





750V時代の「上田交通」車両の記録


現在は上田電鉄の商号ですが、2005年(平成17年)の分社化までは上田交通株式会社でした。私などは未だに上田交通の方が馴染み深いのですが、更にその昔(1969年まで)は上田丸子電鉄の称号で、その名のとおり別所線の他に丸子線、真田傍陽線等の路線網を持っていました。

別所線も一時は存亡の危機にありました。私が初めて別所線に乗ったのは1986年(昭和61年)で、昭和初期製造の車両が主力であり、駅施設も含め当時としても古色蒼然とした雰囲気でした。そんな別所線、趣味的には面白かったものの、存亡の危機にあることが実感されました。

しかしこの年(1986年)の10月に1500V昇圧が実施され、東急5000・5200系により丸窓電車を含めた旧型電車は置き換えられました。そして早くも1993年(平成5年)には東急7200系が導入され冷房化、2006年(平成18年)からはVVVF車である東急1000系の導入が始まるなど、ここ最近の近代化には目を見張るものがあります。

そんな近代化の夜明けを前にした、1986年訪問時の写真をご紹介します。

上田交通のモハ5261
1933年(昭和8年)製のモハ5261は、1978年(昭和53年)に長野電鉄から入線しました。別所温泉駅付近で撮影。(1986.4.2)

上田交通の別所温泉駅
終点、別所温泉駅です。駅舎自体は現在も変わりありませんが、現在のように整備は行き届いていませんでした。現在は、手前左の留置線にモハ5252が保存されています。 (1986.4.2)

上田交通のモハ5371
当時は上田原に車庫がありました。木造の車庫と雑多な車両が留置されている様は、今となっては夢のような光景です。写真右のモハ5371は信濃鉄道(現在の大糸線松本~信濃大町)の車両をルーツとする電装品と、小田急の車体を組み合わせて誕生した電車です。 (1986.4.2)

「丸窓電車」モハ5250型
「丸窓電車」モハ5250型は留置場所の関係で、車両全体を撮影することはできませんでした。昭和初期の電車の雰囲気を良く伝えていますが、高松琴平電鉄では同世代の電車が動態保存されており、驚きに値します。(1986.4.2)

上田交通クハ261
この車両は1926年に長野電鉄モハ102として誕生、1980年に上田交通クハ261として竣工したものの、6年間の活躍でした。左側に少しだけ写っている長電っぽい電車が気になります。(1986.4.2)

上田交通のデハ3310
1975年に東急から入線したデハ3310は、塗色及び車番が変更されないまま、平日朝のラッシュ時に中塩田~上田で限定運用されていました。(1986.4.2)

上田交通のED251
ED251は1937年製、宇部電気鉄道→宇部鉄道→国鉄で使用され、富山機関区城川原支所に配置され富山港線で活躍後、上田丸子電鉄に譲渡されました。1980年頃までは、別所線で貨物列車を牽引していたそうです。左隣りの車両は、元東急のサハ62のようです。 (1986.4.2)

上田交通の「丸窓電車」モハ5252
三好町~赤坂上で撮影した「丸窓電車」モハ5252です。この付近、現在では線路両側に建物が立ち並んでいます。(1986.4.2)


八木沢駅付近で上田電鉄を撮影


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