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只見線、磐越西線キハ40系乗車記(その3)・・・只見線~磐越西線・キハ40系の惜別乗車
主に青春18きっぷを利用した「駅弁」と少し「呑み鉄」、そして時々「撮り鉄」の旅を名古屋からお届けします。今回は2020年3月のダイヤ改正で引退した只見線と磐越西線のキハ40系乗車記です。
今回の旅行記は複数ページに分けて紹介しています。興味関心のあるところをお読みください。
⇒飯山線に乗車&内ヶ巻で撮影
⇒只見線小出口と只見線代行バスの旅
⇒只見線~磐越西線・キハ40系の惜別乗車(←今ここ)
⇒キハ40を撮影@新関駅&新津駅
⇒焼島貨物駅でDD200を撮影
只見から本名まで代行バスに乗車し、本名から歩いて会津川口までやってきました。会津川口からは再び列車の旅となります。
只見川の畔にある会津川口駅です。列車は9:39に到着し、折り返し12:22発会津若松行になります。(2020.3.8 11:58)
12:22発の会津若松行はキハ40の2連、会津川口発車時点で旅行者によりボックス席の多くが埋まりました。(2020.3.8 12:05)
会津川口駅の売店で購入した昼食とお土産です。おふくろ食堂の「かつロール」は美味で他に類を見ない逸品です。ビールも販売している点は嬉しい限りです。観光列車に食の楽しみは必須で、只見線の全線復旧後には車内販売が無理でも、会津川口駅では買物用に停車時間があるといいですね。
帰宅後、「赤かぼちゃようかん」を食しました。金山町産の赤かぼちゃは甘くておいしかったです。(切れ目ははいっていません。)
列車は只見川に沿って進みます。早戸~会津宮下間の風景で、冬期は徐行ダイヤとなりのんびりと車窓を楽しみことができました。車掌さんによる車窓風景の案内放送もあり、旅の楽しみも倍増です。全線復旧後には、土休日だけでも観光に便利な列車の設定を期待したいです。なお本日はキハ40系による最後の日曜日とあって、沿線には撮影者が多数でした。 (2020.3.8 12:49)
会津柳津駅からは観光PR隊(?)の方が乗車されました。まさに只見線は「地域の宝」ですね。こうしたちょっとしたイベント(?)は、旅に彩を与えてくれます。ついでに車内販売も期待したいです。
キハ40柄の法被がいいです!一着欲しくなります!!
会津坂下では列車行き違いのため8分停車し、撮影大会が開催されます。跨線橋上も撮影隊で賑わっています。(2020.3.8 13:43)
到着した会津川口行もキハ40の2連です。観光PR隊はこの列車で戻られました。 (2020.3.8 13:45)
終点の会津若松の3番線ホームに到着、対面2番線ホームに停車中の新津行に乗り換えます。(2020.3.8 14:27)
なお、只見線のキハ40は、後日、まさかの小湊鉄道への譲渡が行われました。その際の甲種輸送の様子を大宮駅で撮影した動画を貼り付けておきます。首都圏の駅に撮り鉄が多数集結して、テレビでも取り上げられていましたね。
なお、只見線の旅の模様は、以前にもこのコーナーでご紹介しています。2016年12月12日に乗車した時の只見線の乗り鉄の旅も、どうぞあわせてお楽しみください。
6分の待ち合わせという好接続で、キハ47の14:31発新津行に乗り換えます。考えることは同じで、只見線から乗り換えた旅行者は少なくありませんでした。 (2020.3.8 14:28)
野沢駅で数分停車。喜多方で下車が多かったものの、この時点でもボックス席はすべて埋まる乗客数でした。(2020.3.8 15:21)
津川では列車の行き違いはないものの7分停車します。キハ40系三昧の旅を満喫中の本サイト「鉄宿!」管理人P氏、記録的写真が台無しです…。(2020.3.8 16:02)
クーラーは設置されていますが、国鉄的雰囲気が満載のキハ47車内です。津川駅停車中の撮影大会開催中に撮影。
古民家風木造駅舎の津川駅です。駅舎は2009年に改築されたものだそうで、現在は業務委託の有人駅です。
改築前の津川駅です。こちらも味わい深い木造駅舎でした。余談ながら、写真中央左側の青いシャツの人物は今回の旅でも同行していただいている、本サイト「鉄宿!」管理人のP氏です。約30年の歳月を経てもなお同じような旅ができるというのは、進歩が全くないともいえますが…嬉しいことでもあります。(1991.9.16)
水郡線から転属したキハ47による会津若松行が日出谷駅に停車中です。快速も通過する小駅ながら、駅弁の立ち売りが行われていました。(1991.12.22)
肝心なお弁当の中身を撮影していないのですが、当時すでに「幻の駅弁」的存在であり現地で購入して食することに大変意義がありました。
日出谷駅前にあった駅弁調製元の朝暘館です。晩年はホームでの立ち売りはなくなりました(SLばんえつ物語号停車時に一時的に復活したこともあり。)が、店頭では2010年まで販売されていたそうです。(1991.12.22)
時刻表1990年12月号の磐越西線部分です。日出谷駅には駅弁マークがあり、欄外には鳥めし弁当500円の案内もあります。当時は客車列車が健在で、会津若松からは上野直通列車があり臨時ながら夜行列車も運転されていました。昔がいいことばかりではない鉄道業界ですが、地方亜幹線に関してはここ30年で衰退が著しいようです。
何度乗っても車窓風景が素晴らしい磐越西線の旅を終えて、定刻17:11に新津へ到着しました。
早朝の新津駅で発車を待つ会津若松行と酒田行の50系客車列車です。この頃は夜行快速「ムーンライトえちご」を利用して、磐越西線や羽越本線の旅をよく楽しんだものです。磐越西線の客車列車は、1995年12月のダイヤ改正まで運行されていました。(1991.12.22)
17:11に終点の新津駅に到着。多くのお客さんが会津若松から新津まで乗り通されました。この列車は2020年3月14日のダイヤ改正で、キハ110系2連による運行に変わりました。 (2020.3.8 17:25)
新津駅に到着する新井行快速列車です。新潟の115系はダイヤ改正後も安泰のようです。 (2020.3.8 17:16)
連日飲んでいますが…今夜も駅前の「つぼ八」にて本日の旅の成功(?)を祝して、本サイト「鉄宿!」管理人P氏と打ち上げです。 日本酒を傾けつつ新潟の夜は更けていくのでした。
⇒次:キハ40を撮影@新関駅&新津駅
今回の旅行記は複数ページに分けて紹介しています。興味関心のあるところをお読みください。
⇒飯山線に乗車&内ヶ巻で撮影
⇒只見線小出口と只見線代行バスの旅
⇒只見線~磐越西線・キハ40系の惜別乗車(←今ここ)
⇒キハ40を撮影@新関駅&新津駅
⇒焼島貨物駅でDD200を撮影
会津川口から再び只見線に乗車
只見から本名まで代行バスに乗車し、本名から歩いて会津川口までやってきました。会津川口からは再び列車の旅となります。
只見川の畔にある会津川口駅です。列車は9:39に到着し、折り返し12:22発会津若松行になります。(2020.3.8 11:58)
12:22発の会津若松行はキハ40の2連、会津川口発車時点で旅行者によりボックス席の多くが埋まりました。(2020.3.8 12:05)
会津川口駅の売店で購入した昼食とお土産です。おふくろ食堂の「かつロール」は美味で他に類を見ない逸品です。ビールも販売している点は嬉しい限りです。観光列車に食の楽しみは必須で、只見線の全線復旧後には車内販売が無理でも、会津川口駅では買物用に停車時間があるといいですね。
帰宅後、「赤かぼちゃようかん」を食しました。金山町産の赤かぼちゃは甘くておいしかったです。(切れ目ははいっていません。)
列車は只見川に沿って進みます。早戸~会津宮下間の風景で、冬期は徐行ダイヤとなりのんびりと車窓を楽しみことができました。車掌さんによる車窓風景の案内放送もあり、旅の楽しみも倍増です。全線復旧後には、土休日だけでも観光に便利な列車の設定を期待したいです。なお本日はキハ40系による最後の日曜日とあって、沿線には撮影者が多数でした。 (2020.3.8 12:49)
会津柳津駅からは観光PR隊(?)の方が乗車されました。まさに只見線は「地域の宝」ですね。こうしたちょっとしたイベント(?)は、旅に彩を与えてくれます。ついでに車内販売も期待したいです。
キハ40柄の法被がいいです!一着欲しくなります!!
会津坂下では列車行き違いのため8分停車し、撮影大会が開催されます。跨線橋上も撮影隊で賑わっています。(2020.3.8 13:43)
到着した会津川口行もキハ40の2連です。観光PR隊はこの列車で戻られました。 (2020.3.8 13:45)
終点の会津若松の3番線ホームに到着、対面2番線ホームに停車中の新津行に乗り換えます。(2020.3.8 14:27)
なお、只見線のキハ40は、後日、まさかの小湊鉄道への譲渡が行われました。その際の甲種輸送の様子を大宮駅で撮影した動画を貼り付けておきます。首都圏の駅に撮り鉄が多数集結して、テレビでも取り上げられていましたね。
なお、只見線の旅の模様は、以前にもこのコーナーでご紹介しています。2016年12月12日に乗車した時の只見線の乗り鉄の旅も、どうぞあわせてお楽しみください。
磐越西線のキハ47に乗車
6分の待ち合わせという好接続で、キハ47の14:31発新津行に乗り換えます。考えることは同じで、只見線から乗り換えた旅行者は少なくありませんでした。 (2020.3.8 14:28)
野沢駅で数分停車。喜多方で下車が多かったものの、この時点でもボックス席はすべて埋まる乗客数でした。(2020.3.8 15:21)
津川では列車の行き違いはないものの7分停車します。キハ40系三昧の旅を満喫中の本サイト「鉄宿!」管理人P氏、記録的写真が台無しです…。(2020.3.8 16:02)
クーラーは設置されていますが、国鉄的雰囲気が満載のキハ47車内です。津川駅停車中の撮影大会開催中に撮影。
古民家風木造駅舎の津川駅です。駅舎は2009年に改築されたものだそうで、現在は業務委託の有人駅です。
29年前の津川駅、日出谷駅
改築前の津川駅です。こちらも味わい深い木造駅舎でした。余談ながら、写真中央左側の青いシャツの人物は今回の旅でも同行していただいている、本サイト「鉄宿!」管理人のP氏です。約30年の歳月を経てもなお同じような旅ができるというのは、進歩が全くないともいえますが…嬉しいことでもあります。(1991.9.16)
水郡線から転属したキハ47による会津若松行が日出谷駅に停車中です。快速も通過する小駅ながら、駅弁の立ち売りが行われていました。(1991.12.22)
肝心なお弁当の中身を撮影していないのですが、当時すでに「幻の駅弁」的存在であり現地で購入して食することに大変意義がありました。
日出谷駅前にあった駅弁調製元の朝暘館です。晩年はホームでの立ち売りはなくなりました(SLばんえつ物語号停車時に一時的に復活したこともあり。)が、店頭では2010年まで販売されていたそうです。(1991.12.22)
時刻表1990年12月号の磐越西線部分です。日出谷駅には駅弁マークがあり、欄外には鳥めし弁当500円の案内もあります。当時は客車列車が健在で、会津若松からは上野直通列車があり臨時ながら夜行列車も運転されていました。昔がいいことばかりではない鉄道業界ですが、地方亜幹線に関してはここ30年で衰退が著しいようです。
新津に到着
何度乗っても車窓風景が素晴らしい磐越西線の旅を終えて、定刻17:11に新津へ到着しました。
早朝の新津駅で発車を待つ会津若松行と酒田行の50系客車列車です。この頃は夜行快速「ムーンライトえちご」を利用して、磐越西線や羽越本線の旅をよく楽しんだものです。磐越西線の客車列車は、1995年12月のダイヤ改正まで運行されていました。(1991.12.22)
17:11に終点の新津駅に到着。多くのお客さんが会津若松から新津まで乗り通されました。この列車は2020年3月14日のダイヤ改正で、キハ110系2連による運行に変わりました。 (2020.3.8 17:25)
新津駅に到着する新井行快速列車です。新潟の115系はダイヤ改正後も安泰のようです。 (2020.3.8 17:16)
連日飲んでいますが…今夜も駅前の「つぼ八」にて本日の旅の成功(?)を祝して、本サイト「鉄宿!」管理人P氏と打ち上げです。 日本酒を傾けつつ新潟の夜は更けていくのでした。
【乗車記録】 ・会津川口12:21→会津若松14:25 キハ40-526 2両 ・会津若松14:31→新津17:11 キハ47-511 2両 ・新津17:35→新潟17:55 クモハE129-107 4両 |
⇒次:キハ40を撮影@新関駅&新津駅