三陸鉄道田老駅へ・被害を受けた街とかつての鉄道写真

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震災後、初めて訪れる三陸の旅(その3)・・・三陸鉄道田老駅・被害を受けた街へ

主に青春18きっぷを利用した「駅弁」と少し「呑み鉄」、そして時々「撮り鉄」の旅を名古屋からお届けします。

忘れもしない東日本大震災、この2018年3月で7周年を迎えます。その被災地である三陸地方は幾度となく旅した地ですが、震災以来、初めて訪れましたのでその模様を報告します。



八戸線のキハ40が引退、乗り納めの旅
三陸鉄道北リアス線のこたつ列車になまはげ登場
⇒三陸鉄道田老駅へ・被害を受けた街とかつての鉄道写真(←今ここ
山田線「代行バス」の旅
三陸鉄道南リアス線に乗車
盛駅周辺を徘徊
盛から気仙沼まで大船渡線BRTバスの旅
気仙沼線のBRTバスの旅
石巻線で女川まで・津波被害の駅前などを見る
石巻線のDE10貨物列車を撮影
仙石東北ラインに乗車してから名古屋に帰還





宮古から田老へ・・・かつての鉄道写真と共に


鉄道が不通である現在、宮古から釜石への移動は路線バスの乗り継ぎとなります。14:20発のバスは本日土曜日のため運休、次の15:155発ですと接続が悪く、釜石到着は午後6時過ぎとなり、途中で車窓は闇となりましょう。

そのため、本日はここ宮古で泊まることとし、三陸鉄道北リアス線の日常風景も垣間見たいので、短区間ではありますが田老まで往復することにしました。





宮古駅とJR線、三陸鉄道
14:50発山田線茂市行が宮古駅を出発します。9:30発快速「リアス」以来の上り列車です。山田線宮古~釜石間が三陸鉄道に移管され復旧した暁には、久慈~釜石~盛が一体運用され、直通列車の設定も想定されますが、宮古駅の駅舎やホームをどのように使用するのかは、興味深いところです。

2003年の山田線の宮古駅構内
宮古駅構内の留置線です。山田線の列車は近年までキハ52、58系で運行されていました。(2003.7.19)

岩泉線のキハ52
岩泉線はキハ110系に置き換わる前は、キハ52で運行されていました。宮古駅停車中の岩泉行です。(2003.7.19)

快速「リアスシーライナー」を宮古駅で撮影
夏期の臨時列車として久慈~仙台、後に八戸~仙台間(久慈・宮古・釜石・盛・気仙沼・前谷地・小牛田経由)に運転されていた快速「リアスシーライナー」を宮古駅で撮影。年々運行日数を減らしつつも、震災の前年まで運転されていました。盛以南がバス転換された今となっては、夢のような経路を行く列車です。(1997.8.4)

三陸鉄道宮古駅
15:09発の久慈行に乗車します。列車乗車を前に満面の笑みのP氏です。

36-706号の車内
クロスシートが並ぶ36-706号は、お手洗いも設置され、例によって窓ガラスも綺麗に清掃され快適な旅を楽しむことができます。車内はほぼ地元の方で、我々2人を含めても10人に満たないお客さんの数でした。三陸鉄道の年間輸送人員は、開業初年度の1984年は264万人でしたが、2016年度は51万人と約2割まで減少しています。

田老駅で三陸鉄道の列車交換
20分程の乗車で田老駅に到着。ここで列車の行き違いがありましたが、両列車共に車内は閑散としていて、一抹の不安を感じました。(2018.2.17 15:30)


田老駅で下車したのは我々2名だけ。築堤上のホームからは、建設中の防潮堤が目立つ他は空き地が広がり、国道横には広い土地に太陽光発電のソーラーパネルが設置されています。国道を少し北に向かうと「道の駅 たろう」(一部施設は建設中)があるので、歩いてみます。

道中、野球場の柱に津波の到達地点が表示されており、ビルの3階相当の高さでしょうか。こうして現地で目の当たりにすると、その脅威が実感されます。

田老の防潮堤
津波は昭和時代に建設された防潮堤(手前)を越えて、田老の市街地に大きな被害が発生しました。奥に建設中の大きな防潮堤との間は、現在は大半が空き地ですが、水産工場もあります。国道や店舗、道の駅は手前の防潮堤の山側にあります。

たろう観光ホテルの被害前の写真
復興庁によると、「震災遺構」は各市町村につき1か所の改修費用が助成されるとのことで、宮古市では「たろう観光ホテル」が保存されました。保存か解体かで議論もある「震災遺構」ですが、現在、岩手県と宮城県で7件が助成を受けて改修保存されていて、気仙沼市では「気仙沼向洋高校旧校舎」、石巻市では「旧門脇小学校校舎」、東松島市では「旧野蒜駅のプラットホーム」などです。(他に国の助成対象外で、県などで独自に保存されている遺構もあります。)

津波被害の後のたろう観光ホテル
1・2階の壁が完全に流失し、津波の脅威を実感させられます。4階まで浸水したとのことですが、緊急時には高い建物に避難することも有効であることを、あらためて実感しました。そして背後には高台移転した集落が見えます。

たろう観光ホテルの周辺
防潮堤から見たたろう観光ホテル周辺。右側が海岸で、この付近にも建物があったことでしょう。ちょうどここから、震災後1か月の時期の田老地区の動画が以下です。





天気が変わりやすく、晴天から一転し吹雪になりました。急ぎ「道の駅たろう」に避難します。一部施設は工事中でしたが、産直物販店「とれたろう」は午後5時までの営業でした。

今日は観光シーズンではないためか閑散としていますが、国産だと意外に高い「カットわかめ」が田老産でお値打ちだったので購入、他にも地元産の魅力的な商品がありましたが、まだ旅が続くので断念します。

仙台を結ぶ三陸自動車道は、仙台~南三陸町歌津、陸前高田~大船渡市吉浜など、部分的に供用中ですが、この付近の宮古中央IC~田老真崎海岸ICも2020年度の供用開始が見込まれています。

それもあってか、国道はダンプカーの往来が絶えません。こうして道路整備が一方で、三陸鉄道の行方が気懸りになります。

田老仲町バス停(岩手県北バス)
帰りは路線バスを利用しました。乗客は我々の他1名だけで、途中での乗降客はいませんでした。(2018.2.17 16:47)

宮古駅前のバス停(岩手県北バス)
三陸鉄道とは離れた場所にある国道45号線を経由して宮古駅前に到着。時刻表上では17:23の到着予定ですが、8分の早着???「つくばエクスプレス」で20秒の早発を謝罪していたことが話題となったことと比較して、そのアバウトさに少々驚きです。私の勘違いだったらいいのですが…。(2018.2.17 17:15)





小本で撮影した少し昔の写真


今回の旅に先立ち、過去の写真を掘り起こしてみました。名古屋から訪れるには決して交通の便が良いとはいえない三陸鉄道や宮古市ですが、実に足繁く旅していたことに我ながら驚きます。

その多くは岩泉線乗車とセットであり、岩泉線運休後は全く訪れていないというのも、非常にわかりやすくて、呆れるばかりです。田老駅には降り立ったことは無いのですが、岩泉への抜け道ルートである小本駅(現在の岩泉小本駅)は何度か利用しており、その折の写真をご紹介します。




1990年の三陸鉄道
開業から6年、この頃はまだ黒字経営を維持していた三陸鉄道です。小本で久慈行を後追い撮影。(1990.12.3)

宮古~小本間の岩手県北バス(1990年)
現在と同様に宮古~小本間には、岩手県北バスにより路線バスが運行されていました。小本駅前で撮影した岩手県北バスです。(1990.12.3)

小本~岩泉間のJRバス(1990年)
そして小本~岩泉間にはJRバスの路線がありました。現在、JRバスの岩泉営業所は廃止され、この路線は岩手県北バス・岩泉自動車運輸に引き継がれています。(1990.12.3)


今から26年前にも、P氏とともに岩泉線や三陸鉄道の旅をして、宮古で泊まっています。人生の荒波を乗り越え、齢50を前にして再び古い友人と旅ができるというのは、本当に嬉しいことです。…とともに、列車と路線バスに乗るという旅のスタイルが、当時と今でほとんど変わっていないことは、驚きに値します。(1992.2.8)



【乗車記録】

・久慈12:15→宮古13:54 36-Z1 2両  
・宮古15:09→田老15:30 36-706 1両  
・田老中町16:45→宮古駅前17:23 (岩手県北バス)




津波を乗り越えた奇跡の寿司屋、「志むら寿司」の豪華特上寿司で打ち上げ


この日は宮古で宿泊。その昔、P氏とともに訪れたことのある宮古市街の大通にある寿司屋、志むら寿司さんで打ち上げです。前回は震災前でしたので、現在も同じ場所で営業していてひと安心です。

志むら寿司のお店情報(食べログ)




ご主人によると、宮古市は重茂半島の陰となり、津波による被害は比較的小さかったとのことですが、それでも市内で600名の方が亡くなっていて、こちらのお店も1階は水没したそうです。

震災当日一晩を2階で過ごされ、一時は閉店も考えたそうですが、店のスペースを半分にしつつも2週間ほどで再開、大いに喜ばれたそうです。お店の場所は下の動画の現場から歩いてすぐの所にあり、まさに「奇跡」としか言いようがありません。






そういえば三陸鉄道の宮古~田老間は震災9日後の3月20日に運転を再開、被災した方は大いに勇気づけられたことでしょう。 しかし震災後、再開を諦めた店も少なくなく、周辺の駐車場や空き地は多くが建物の跡地だそうです。

そして一昨年、2016年(平成28年)8月の台風10号の被害も乗り越えて、現在も盛業中、常連と思しきお客さんが、ひとりふたりと途切れることなく来店します。

お店の外にメニュー表がなく、敷居が高い感じもしますが、店主ご夫婦のお人柄か、全くそのようなことはないので、宮古では是非ともおススメしたいお店です。

志むら寿司さん店内の津波表示
店内には津波による浸水位置の表示がありました。矢印の位置で、大人の背丈ほどでしょうか。

志むら寿司(宮古)の特上寿司と並寿司
ブルジョアなP氏は「特上」(3300円)で、無産階級の私は「並」(950円)のお寿司です。格差社会を目の当たりにした瞬間ですが、「並」でも十分美味しくいただきました。


特筆すべきはこちらの「天ぷら」(800円)です。油も良いのか、カリッと軽やかに揚げられ、頭から尻尾まで美味しくいただきました。齢50を前にして、このような「美味」に出会えるとは、人生もまだまだ捨てたものではありません。


ちなみに右の徳利は、震災時にたまたま2階に保管されていて生き残った5本のうちの1本です。1階店内にあった徳利をはじめとした食器類は泥に浸かり、無傷であってもお客さんには出せないとのことで処分したそうです。


本日は宮古駅近くのホテルビッグウェーブに宿泊。P氏はトレインビュー側の部屋に宿泊したので、リンク先の記事をご参照ください。私の部屋からも、何とか宮古駅のホームを眺めることができました。


山田線「代行バス」の旅

参考宮古駅の駅弁と立ち食いそば屋さん情報


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