●参考になりましたら、シェアしていただけるとサイト運営の励みになります!
加悦SL広場訪問記(その3)・・・加悦SL広場・過去の訪問記録
主に青春18きっぷを利用した「駅弁」と少し「呑み鉄」、そして時々「撮り鉄」の旅を名古屋からお届けします。今回は2020年3月31日限りで閉園となった加悦SL広場の訪問記です。
今回の旅行記は以下の複数ページに分けて紹介しています。興味関心のあるところをお読みください。
⇒京都丹後鉄道の与謝野駅へ
⇒加悦SL広場に保存されていた車両たち
⇒加悦SL広場・過去の訪問記録(←今ここ)
⇒加悦から名古屋に帰宅
加悦鉄道は1985年(昭和60年)に廃止されており、1969年生まれの私はさすがに現役時代に乗車することは叶いませんでした。廃止後も存続した「加悦SLの広場」を訪問できたのは1992年のことでした。
電化前の小浜線ではキハ58系によるワンマン運転が実施されていました。各地で活躍したキハ58系は、JR化後に路線ごとのオリジナル塗色化が流行しました。(1992.7.8)
西舞鶴に到着した豊岡発京都行の急行「丹後6号」です。急行「丹後」は1996年(平成8年)の山陰本線園部~綾部間電化開業に伴い、電車特急に格上げされて姿を消しました。(1992.7.8)
急行「丹後」には最末期までグリーン車キロ28が連結され、優等列車の風格を感じさせました。(1992.7.8)
敦賀発の急行「わかさ」と「丹後6号」は西舞鶴で併結されて、京都へ向かいます。車両や運行形態等、JR化後も国鉄の面影を色濃く残した列車でした。この日は、急行の自由席に差額なしで乗車できるミニ周遊券を利用し、急行列車の旅を楽しんだのでした。(1992.7.8)
加悦鉄道はカヤ興産に社名を変更し、宮津~野田川(旧丹後山田)~加悦間に路線バスを運行していました。(1992.7.9)
旧加悦駅です。鉄道廃止前と変わらぬ姿で残され、「加悦SLの広場」として営業していました。(1992.7.9)
入場料は100円でした。
保存車両は現在の「加悦SL広場」に引き継がれています。
鉄道営業時代と全く変化が無さそうな加悦駅構内です。現在は与謝野町役場加悦庁舎の敷地となっていますが、もしそのまま残されたなら敷地全体が貴重な鉄道文化財となったことでしょう。(1992.7.9)
駅構内にはターンテーブルや給水塔あり、古き良き時代の鉄道風景をよく残していました。
2号機関車も良好な保存状態でした。(1992.7.9)
現在も引き続き保存されている「森ブタ」ことDB201です。(1992.7.9)
7年前まで使用されていたキハ083は、ほぼ現役時代の姿で保存されていました。 (1992.7.9)
キハ1018も外観の状態は良好で、さながら現役の車両が車庫に留置されているようでした。(1992.7.9)
キハ101も非常に良好な状態で保存されていました。(1992.7.9)
かつての乗車券も販売されていました。
西舞鶴から城崎発京都行の特急「あさしお12号」に乗車しました。宮津線は既に第3セクターの北近畿タンゴ鉄道に転換されていましたが、優等列車はまだ国鉄型車両が中心でした。 (1992.7.9)
大江山鉱山駅跡である現在地に「加悦SL広場」が移転したのは1996年で、私はその翌年に訪問しています。これ以降、次の訪問は前述のように閉園間近となってしまい、もっと通っておけばよかったと後悔しきりです。
カヤ興産の路線バスは1999年にカヤフェローラインに分社化された後、バス事業からは撤退し、路線バスは丹後海陸交通が運行しています。当時はSL広場の前までバスが運行されていて便利でした。(1997.1.11)
旧加悦駅の意匠を取り入れた建物が新築されました。(1997.1.11)
現在と同じ場所で保存されていた2号機関車ですが、当時は上屋がありませんでした。(1997.1.11)
ターンテーブルや給水塔も一緒に移設されたようです。生憎の天気で土曜日ながら入場者は少な目でした。(1997.1.11)
DB201も旧加悦駅「加悦SLの広場」から移動しました。(1997.1.11)
ターンテーブルの周りに整然と車両が展示されていました。(1997.1.11)
鉄道廃止から13年を経て、キハ083は少々痛みが見られるようになりました。(1997.1.11)
キハ1018も塗装に疲れが見えます。(1997.1.11)
福知山行の路線バスを利用して帰宅の途に就きました。この路線、現在は土休日運休となっています。(1997.1.11)
当時は山陰本線の園部駅と亀岡駅でも駅弁が販売されていました。この旅の少し後の2000年5月にいただいた時の掛け紙です。現在、駅での販売はありませんが、駅前のお店では予約により購入することができるそうです。
福知山駅でも当然ながら駅弁が販売されていました。2000年10月にいただいたお弁当の掛け紙ですが、肝心な中身の写真はありません。特急が発着する拠点駅のため需要はありそうですが、2005年の高架化までに業者が撤退し駅弁は消えています。
⇒次:加悦から名古屋に帰宅
今回の旅行記は以下の複数ページに分けて紹介しています。興味関心のあるところをお読みください。
⇒京都丹後鉄道の与謝野駅へ
⇒加悦SL広場に保存されていた車両たち
⇒加悦SL広場・過去の訪問記録(←今ここ)
⇒加悦から名古屋に帰宅
過去の訪問記その①:移転前の「加悦SLの広場」
加悦鉄道は1985年(昭和60年)に廃止されており、1969年生まれの私はさすがに現役時代に乗車することは叶いませんでした。廃止後も存続した「加悦SLの広場」を訪問できたのは1992年のことでした。
電化前の小浜線ではキハ58系によるワンマン運転が実施されていました。各地で活躍したキハ58系は、JR化後に路線ごとのオリジナル塗色化が流行しました。(1992.7.8)
西舞鶴に到着した豊岡発京都行の急行「丹後6号」です。急行「丹後」は1996年(平成8年)の山陰本線園部~綾部間電化開業に伴い、電車特急に格上げされて姿を消しました。(1992.7.8)
急行「丹後」には最末期までグリーン車キロ28が連結され、優等列車の風格を感じさせました。(1992.7.8)
敦賀発の急行「わかさ」と「丹後6号」は西舞鶴で併結されて、京都へ向かいます。車両や運行形態等、JR化後も国鉄の面影を色濃く残した列車でした。この日は、急行の自由席に差額なしで乗車できるミニ周遊券を利用し、急行列車の旅を楽しんだのでした。(1992.7.8)
加悦鉄道はカヤ興産に社名を変更し、宮津~野田川(旧丹後山田)~加悦間に路線バスを運行していました。(1992.7.9)
旧加悦駅です。鉄道廃止前と変わらぬ姿で残され、「加悦SLの広場」として営業していました。(1992.7.9)
入場料は100円でした。
保存車両は現在の「加悦SL広場」に引き継がれています。
鉄道営業時代と全く変化が無さそうな加悦駅構内です。現在は与謝野町役場加悦庁舎の敷地となっていますが、もしそのまま残されたなら敷地全体が貴重な鉄道文化財となったことでしょう。(1992.7.9)
駅構内にはターンテーブルや給水塔あり、古き良き時代の鉄道風景をよく残していました。
2号機関車も良好な保存状態でした。(1992.7.9)
現在も引き続き保存されている「森ブタ」ことDB201です。(1992.7.9)
7年前まで使用されていたキハ083は、ほぼ現役時代の姿で保存されていました。 (1992.7.9)
キハ1018も外観の状態は良好で、さながら現役の車両が車庫に留置されているようでした。(1992.7.9)
キハ101も非常に良好な状態で保存されていました。(1992.7.9)
かつての乗車券も販売されていました。
西舞鶴から城崎発京都行の特急「あさしお12号」に乗車しました。宮津線は既に第3セクターの北近畿タンゴ鉄道に転換されていましたが、優等列車はまだ国鉄型車両が中心でした。 (1992.7.9)
【乗車記録】 ◆1992年7月8日 ・名古屋6:44→米原8:04 クハ117-111 4両 ・米原8:19→敦賀9:08 クモハ457-18 3両 ・敦賀9:35→西舞鶴11:25 「急行わかさ」キハ58-227 2両 ・西舞鶴12:16→福知山13:02 キハ58-794 2両 ・福知山13:35→城崎14:47 「急行丹後3号」キハ28-2070 4両 ・城崎16:19→餘部17:01 キハ47-1037 4両 ・餘部18:10→豊岡19:12 キハ47-40 2両 ◆1992年7月9日 ・豊岡7:32→野田川8:32 KTR704 1両 ・野田川駅前9:07→加悦駅前9:21 (カヤ興産バス) ・加悦駅前10:10→ケーブル下10:35 (丹後海陸交通バス) ・ケーブル下11:05→伊根役場前11:36 (丹後海陸交通バス) ・伊根役場前12:37→経ヶ岬13:15 (丹後海陸交通バス) ・経ヶ岬15:32→間人16:04 (丹後海陸交通バス) ・間人16:16→網野駅前16:45 (丹後海陸交通バス) ・網野16:55→西舞鶴18:22 KTR2002 2両 ・西舞鶴18:37→京都20:12 「特急あさしお12号」 キハ181-27 5両 ・京都20:30→米原21:24 モハ221-55 8両 ・米原21:39→大垣22:12 クハ116-205 4両 ・大垣22:27→名古屋22:59 クハ117-24 4両 ※まだまだ国鉄型車両が主力となって活躍している一方で、新快速列車は221系が主力となっていました。野田川~加悦間の路線バスについては、現在では運行本数が大幅に減ったものの、丹後半島をめぐる路線は、現在も同等の利便性が確保されています。 |
過去の訪問記その②:移転後の「加悦SL広場」
大江山鉱山駅跡である現在地に「加悦SL広場」が移転したのは1996年で、私はその翌年に訪問しています。これ以降、次の訪問は前述のように閉園間近となってしまい、もっと通っておけばよかったと後悔しきりです。
カヤ興産の路線バスは1999年にカヤフェローラインに分社化された後、バス事業からは撤退し、路線バスは丹後海陸交通が運行しています。当時はSL広場の前までバスが運行されていて便利でした。(1997.1.11)
旧加悦駅の意匠を取り入れた建物が新築されました。(1997.1.11)
現在と同じ場所で保存されていた2号機関車ですが、当時は上屋がありませんでした。(1997.1.11)
ターンテーブルや給水塔も一緒に移設されたようです。生憎の天気で土曜日ながら入場者は少な目でした。(1997.1.11)
DB201も旧加悦駅「加悦SLの広場」から移動しました。(1997.1.11)
ターンテーブルの周りに整然と車両が展示されていました。(1997.1.11)
鉄道廃止から13年を経て、キハ083は少々痛みが見られるようになりました。(1997.1.11)
キハ1018も塗装に疲れが見えます。(1997.1.11)
福知山行の路線バスを利用して帰宅の途に就きました。この路線、現在は土休日運休となっています。(1997.1.11)
当時は山陰本線の園部駅と亀岡駅でも駅弁が販売されていました。この旅の少し後の2000年5月にいただいた時の掛け紙です。現在、駅での販売はありませんが、駅前のお店では予約により購入することができるそうです。
福知山駅でも当然ながら駅弁が販売されていました。2000年10月にいただいたお弁当の掛け紙ですが、肝心な中身の写真はありません。特急が発着する拠点駅のため需要はありそうですが、2005年の高架化までに業者が撤退し駅弁は消えています。
【乗車記録】 ◆1997年1月11日 ・名古屋7:29→大垣8:07 クハ210-5310 4両 ・大垣8:09→米原8:43 クハ116-24 4両 ・米原9:05→敦賀9:53 クモハ419-4 3両 ・敦賀10:04→東舞鶴11:59 キハ28-2159 2両 ・東舞鶴12:00→西舞鶴12:08 キハ58-1138 2両 ・西舞鶴12:27→宮津12:59 KTR707 2両 ・宮津駅13:53→SL広場14:40 (カヤ興産バス) ・SL広場西16:00→福知山駅17:00 (丹後海陸交通バス) ・福知山17:39→京都19:52 クモハ112-5309 2→6両 ・京都20:05→米原21:20 クハ111-5412 7両 ・米原21:29→名古屋22:29 クハ111-2023 6両 ※山陰本線の電化に伴い、ディーゼルカーによる急行「丹後」や特急「あさしお」は姿 を消しましたが、小浜線や舞鶴線ではキハ58系の活躍が続き、東海道本線の快速列 車も113系が運行していました。 |
⇒次:加悦から名古屋に帰宅