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伯備線を乗り鉄&撮り鉄の旅(その1)・・・本命は井倉鉄橋での撮影
主に青春18きっぷを利用した「駅弁」と少し「呑み鉄」、そして時々「撮り鉄」の旅を名古屋からお届けします。
今年度末での廃止が決まった三江線、ほぼ全駅を車で訪問するという愚行を成し遂げた翌日は三江線列車に乗車、更に次の日は伯備線沿線で撮影をしながら各駅停車の旅を楽しみましたので、ご紹介します。
⇒伯備線を乗り鉄&撮り鉄の旅(その1)本命は井倉鉄橋での撮影(今ここ)
⇒伯備線を乗り鉄&撮り鉄の旅(その2)備中川面で撮影して帰宅
2017年5月15日(月)、三江線を心行くまで堪能した旅の最終日は、伯備線を経由して名古屋へ帰ります。友人M氏とここで別れ(特急で新見に行き、姫新線で姫路を経由して京都に泊まり、翌日千葉まで帰るとの事)、再び一人旅となります。
駅弁を仕入れて、7:36発の新見行に乗車、途中2か所で貴重な存在となった国鉄型車両による特急「やくも」を撮影しつつ、岡山へ向かいます。
家を空けて3日目、さすがに今日は早めに帰宅することにします。伯備線と言えば、EF64による貨物列車が有名(?)ですが、今日は時間の都合により撮影することはできませんでした。
米子駅で駅弁を購入、この時間は「かにちらし寿司」と「海の宝箱」、「吾左衛門鮓鯖」が販売中です。
うどん・そば店兼駅弁売店のメニューです。
JR西日本後藤総合車両所所属の「DD51-1179」牽引の工臨が、米子駅に側線に留置されていました。朝からいいものを見せてもらいました。
113系の2両編成は、米子発車時点ではボックス席に2名程度、伯耆大山では多くの高校生が下車、早朝に到着した岡山からの貨物列車3089列車と思しきコンテナ列車が、米子側にEF64を連結したまま停車中。また駅の東側、山陰本線と伯備線との分岐地点にはEF64単機が留置されていました。
更に途中の江尾でも伯耆大山行貨物列車3081列車と交換、貨物列車街道の様相を呈していますが、次の列車は午後以降となるため、前述のように本日は撮影できません。
根雨でも多くの高校生が降車、次の黒坂でも3名の高校生が下車すると、列車全体でも乗客は私だけの貸切となり、生山で1名乗車するまでこの状態が続きました。一部列車がキハ120の単行で運行されているのも、頷けます。
米子から乗車した新見行は2両編成、後部は中間車改造のクモハ114です。
黒坂では6分程停車し、「サンライズ出雲」出雲市行と交換、乗り鉄しながら撮り鉄です。(2017.5.14 8:28)
黒坂~生山間は完全無欠の貸切状態。列車は空いているに越したことは無いものの、こうなるとちょっと複雑な心境です。
上菅で下り特急列車との交換のため数分停車し、次の上石見(この写真)でも20分程停車、上り特急「やくも8号」を退避します。(2017.5.14 9:02)
上石見駅ホームからの風景です。こうした風景をのんびり眺めることが出来るのは、普通列車の旅の醍醐味です。
上石見駅ホームで、岡山行「やくも8号」を撮影。後部にパノラマ型グリーン車が付いた6両編成です。(9:13)
次の新郷でも、またまた列車交換のため5分程停車。こうなると走行している時間より、停車時間の方が長いように感じます。(2017.5.14 9:24)
新郷では、出雲市行特急「やくも3号」と交換です。(2017.5.14 9:27)
昼食には早いのですが、時間のあるうちにいただいておきます。昨年の旅でも頂いています。
撮影活動に支障するといかんので、ビールは自粛します。
新見では7分の待ち合わせで、115系2連(左)から同3連の和気行に乗り換えです。中間車改造の先頭車でも、色々と顔が違うのですね。
米子から新見まで2時間を超える各駅停車の旅、一般の方にはともかく、「鉄」としては長時間停車中に各種特急列車を撮影することが出来て、非常に充実しておりました。
気力と体力があれば、もう1本早い普通列車に乗り、根雨~黒坂間のお立ち台で「サンライズ出雲」を撮影しようかとも考えていましたが、黒坂の駅撮りでそれなりの写真を撮ることが出来ましたので良かったです。
また、伯備線を普通列車で旅すること自体、記憶にないので、車窓風景は誠に新鮮でした。やはり旅は各駅停車に限ると、再度決意した次第です。さて終点の新見で乗り換え、いよいよ本格的な(??)撮影活動を始めます。
⇒参考:米子のトレインビューホテル・ホテルハーベストイン米子
新見から2駅目、井倉駅で下車します。観光地としての鍾乳洞「井倉洞」の最寄り駅とあってか、委託駅として窓口で切符が販売されています。
撮影場所は井倉駅から方谷駅(広石信号所)方面に約1㎞歩いた高梁川の鉄橋で、「お立ち台」として有名な場所です。この付近は石灰の工場があり、大型車の通行が多いので要注意です。
新見駅に掲示されていた特急「やくも」の編成表。5月14日(月)に撮影を予定している10号~14号は全て4連です。
10:08、井倉駅に到着。副本線と長いホームのある幹線らしい駅です。
井倉駅の裏は石灰の鉱業所で、川向こうのカルスト台地で石灰岩が採掘されています。かつてD51の3重連で知られた石灰輸送列車は足立駅発でしたが、ここからも列車で運ばれたのでしょうか。駅周辺は集落で小学校もあります。
駅前の道路を左に進みます。晴れ間が広がってきました。ビール日和ですが、残念ながら商店はなさそうで、入手することはできませんでした。
ここがお立ち台です。すぐ右側に建物があるので、正面勝ちでの撮影となります。「特別なトワイライトエクスプレス」運行時には大いに賑わったことでしょう。午前中順光、今日は私の他に撮影者はいませんでした。橋の向こう側に井倉駅があります。
まずは新見行普通列車を後追いで撮影。山陽本線直通で姫路を7:31に出発した列車です。この区間の日中は213系が多くなるので、115系は貴重です。 (2017.5.14 10:36)
特急「やくも10号」岡山行です。4連の岡山方先頭車は貫通扉があるのですね。スマートな381系らしさがちょっと損なわれていて残念。勉強不足でした。(2017.5.14 10:45)
「やくも7号」を後追い撮影。こちらは非貫通の100番台で、381系らしい顔です。(2017.5.14 10:58)
さてこの時点で午前11時、井倉駅から12:04の上り普通列車に乗車予定で、その前の11:45頃に上り特急が通過します。しかしこの場所では側面の光線が弱くなるので、撮影は終了し、せっかくなので「井倉洞」を見物することにします。平日とあって200台収容の駐車場に車は5台ほど、人影もほとんどありません。
全長1200mで見学所要時間は約40分、入場料は大人1000円です。意外に高額な入場料に一瞬躊躇しましたが、今後の残りの人生の中で、井倉駅に降り立つ可能性は極めて少ないことでしょう。2度と訪れる機会はなさそうなので、意を決して入場することにしました。
売店や食堂などの建物のある場所から橋を渡ると、入口があります。井倉洞は1952年(昭和32年)に「発見」され、その2年後に「開洞」したそうです。現在のように1200mの歩道が整備されたのは、更にその5年後です。
入口です。出会った観光客は2組だけ、そのうち1組はインバウンドの若者グループ。こんな(…と言っては失礼ですが。)シブい場所を観光されるとは「想定外」、実は口コミで世界的に有名な場所なのでしょうか。高度情報化社会を実感します。
腰を屈めないと、頭をぶつけるような天井の低い場所が多々あります。 閉所恐怖症の方は、即失神されることでしょう。
出口には足湯ならぬ「足水」(?)が用意されています。時間の都合上、急ぎ足で見物したので、洞内の湧水に足を浸すと、非常に気持ち良く疲れも取れました。心なしか足が軽くなったようです。
⇒続き:伯備線を乗り鉄&撮り鉄の旅(その2)備中川面で撮影して帰宅
今年度末での廃止が決まった三江線、ほぼ全駅を車で訪問するという愚行を成し遂げた翌日は三江線列車に乗車、更に次の日は伯備線沿線で撮影をしながら各駅停車の旅を楽しみましたので、ご紹介します。
⇒伯備線を乗り鉄&撮り鉄の旅(その1)本命は井倉鉄橋での撮影(今ここ)
⇒伯備線を乗り鉄&撮り鉄の旅(その2)備中川面で撮影して帰宅
伯備線で新見へ、乗り鉄しながら撮り鉄でお腹一杯
2017年5月15日(月)、三江線を心行くまで堪能した旅の最終日は、伯備線を経由して名古屋へ帰ります。友人M氏とここで別れ(特急で新見に行き、姫新線で姫路を経由して京都に泊まり、翌日千葉まで帰るとの事)、再び一人旅となります。
駅弁を仕入れて、7:36発の新見行に乗車、途中2か所で貴重な存在となった国鉄型車両による特急「やくも」を撮影しつつ、岡山へ向かいます。
家を空けて3日目、さすがに今日は早めに帰宅することにします。伯備線と言えば、EF64による貨物列車が有名(?)ですが、今日は時間の都合により撮影することはできませんでした。
米子駅で駅弁を購入、この時間は「かにちらし寿司」と「海の宝箱」、「吾左衛門鮓鯖」が販売中です。
うどん・そば店兼駅弁売店のメニューです。
JR西日本後藤総合車両所所属の「DD51-1179」牽引の工臨が、米子駅に側線に留置されていました。朝からいいものを見せてもらいました。
113系の2両編成は、米子発車時点ではボックス席に2名程度、伯耆大山では多くの高校生が下車、早朝に到着した岡山からの貨物列車3089列車と思しきコンテナ列車が、米子側にEF64を連結したまま停車中。また駅の東側、山陰本線と伯備線との分岐地点にはEF64単機が留置されていました。
更に途中の江尾でも伯耆大山行貨物列車3081列車と交換、貨物列車街道の様相を呈していますが、次の列車は午後以降となるため、前述のように本日は撮影できません。
根雨でも多くの高校生が降車、次の黒坂でも3名の高校生が下車すると、列車全体でも乗客は私だけの貸切となり、生山で1名乗車するまでこの状態が続きました。一部列車がキハ120の単行で運行されているのも、頷けます。
米子から乗車した新見行は2両編成、後部は中間車改造のクモハ114です。
黒坂では6分程停車し、「サンライズ出雲」出雲市行と交換、乗り鉄しながら撮り鉄です。(2017.5.14 8:28)
黒坂~生山間は完全無欠の貸切状態。列車は空いているに越したことは無いものの、こうなるとちょっと複雑な心境です。
上菅で下り特急列車との交換のため数分停車し、次の上石見(この写真)でも20分程停車、上り特急「やくも8号」を退避します。(2017.5.14 9:02)
上石見駅ホームからの風景です。こうした風景をのんびり眺めることが出来るのは、普通列車の旅の醍醐味です。
上石見駅ホームで、岡山行「やくも8号」を撮影。後部にパノラマ型グリーン車が付いた6両編成です。(9:13)
次の新郷でも、またまた列車交換のため5分程停車。こうなると走行している時間より、停車時間の方が長いように感じます。(2017.5.14 9:24)
新郷では、出雲市行特急「やくも3号」と交換です。(2017.5.14 9:27)
昼食には早いのですが、時間のあるうちにいただいておきます。昨年の旅でも頂いています。
撮影活動に支障するといかんので、ビールは自粛します。
新見では7分の待ち合わせで、115系2連(左)から同3連の和気行に乗り換えです。中間車改造の先頭車でも、色々と顔が違うのですね。
米子から新見まで2時間を超える各駅停車の旅、一般の方にはともかく、「鉄」としては長時間停車中に各種特急列車を撮影することが出来て、非常に充実しておりました。
気力と体力があれば、もう1本早い普通列車に乗り、根雨~黒坂間のお立ち台で「サンライズ出雲」を撮影しようかとも考えていましたが、黒坂の駅撮りでそれなりの写真を撮ることが出来ましたので良かったです。
また、伯備線を普通列車で旅すること自体、記憶にないので、車窓風景は誠に新鮮でした。やはり旅は各駅停車に限ると、再度決意した次第です。さて終点の新見で乗り換え、いよいよ本格的な(??)撮影活動を始めます。
⇒参考:米子のトレインビューホテル・ホテルハーベストイン米子
本命の、井倉鉄橋付近で撮影
新見から2駅目、井倉駅で下車します。観光地としての鍾乳洞「井倉洞」の最寄り駅とあってか、委託駅として窓口で切符が販売されています。
撮影場所は井倉駅から方谷駅(広石信号所)方面に約1㎞歩いた高梁川の鉄橋で、「お立ち台」として有名な場所です。この付近は石灰の工場があり、大型車の通行が多いので要注意です。
新見駅に掲示されていた特急「やくも」の編成表。5月14日(月)に撮影を予定している10号~14号は全て4連です。
10:08、井倉駅に到着。副本線と長いホームのある幹線らしい駅です。
井倉駅の裏は石灰の鉱業所で、川向こうのカルスト台地で石灰岩が採掘されています。かつてD51の3重連で知られた石灰輸送列車は足立駅発でしたが、ここからも列車で運ばれたのでしょうか。駅周辺は集落で小学校もあります。
駅前の道路を左に進みます。晴れ間が広がってきました。ビール日和ですが、残念ながら商店はなさそうで、入手することはできませんでした。
ここがお立ち台です。すぐ右側に建物があるので、正面勝ちでの撮影となります。「特別なトワイライトエクスプレス」運行時には大いに賑わったことでしょう。午前中順光、今日は私の他に撮影者はいませんでした。橋の向こう側に井倉駅があります。
まずは新見行普通列車を後追いで撮影。山陽本線直通で姫路を7:31に出発した列車です。この区間の日中は213系が多くなるので、115系は貴重です。 (2017.5.14 10:36)
特急「やくも10号」岡山行です。4連の岡山方先頭車は貫通扉があるのですね。スマートな381系らしさがちょっと損なわれていて残念。勉強不足でした。(2017.5.14 10:45)
「やくも7号」を後追い撮影。こちらは非貫通の100番台で、381系らしい顔です。(2017.5.14 10:58)
(ついでに)井倉洞を見物
さてこの時点で午前11時、井倉駅から12:04の上り普通列車に乗車予定で、その前の11:45頃に上り特急が通過します。しかしこの場所では側面の光線が弱くなるので、撮影は終了し、せっかくなので「井倉洞」を見物することにします。平日とあって200台収容の駐車場に車は5台ほど、人影もほとんどありません。
全長1200mで見学所要時間は約40分、入場料は大人1000円です。意外に高額な入場料に一瞬躊躇しましたが、今後の残りの人生の中で、井倉駅に降り立つ可能性は極めて少ないことでしょう。2度と訪れる機会はなさそうなので、意を決して入場することにしました。
売店や食堂などの建物のある場所から橋を渡ると、入口があります。井倉洞は1952年(昭和32年)に「発見」され、その2年後に「開洞」したそうです。現在のように1200mの歩道が整備されたのは、更にその5年後です。
入口です。出会った観光客は2組だけ、そのうち1組はインバウンドの若者グループ。こんな(…と言っては失礼ですが。)シブい場所を観光されるとは「想定外」、実は口コミで世界的に有名な場所なのでしょうか。高度情報化社会を実感します。
腰を屈めないと、頭をぶつけるような天井の低い場所が多々あります。 閉所恐怖症の方は、即失神されることでしょう。
出口には足湯ならぬ「足水」(?)が用意されています。時間の都合上、急ぎ足で見物したので、洞内の湧水に足を浸すと、非常に気持ち良く疲れも取れました。心なしか足が軽くなったようです。
【乗車記録】 ・米子7:36→新見9:50 クモハ114-1196 2両 ・新見9:57→井倉10:08 モハ114-1126 3両 |
⇒続き:伯備線を乗り鉄&撮り鉄の旅(その2)備中川面で撮影して帰宅