●参考になりましたら、シェアしていただけるとサイト運営の励みになります!
明知鉄道撮影記(その2)・・・阿木駅と明智駅
主に青春18きっぷを利用した「駅弁」と少し「呑み鉄」、そして時々「撮り鉄」の旅を名古屋からお届けします。今回は岐阜県にある第三セクター鉄道の明知鉄道乗車&撮影記です。
阿木駅を発車した急行「大正ロマン号」をホーム端から後追い撮影。停車駅が少ない以外は通常のワンマン列車と同じで、片手で数えられる程度の乗客数でした。(2020.8.15 11:59) 。以下、2ページに渡って、明知鉄道の訪問記をお伝えいたします。
⇒田んぼdeアートの明知鉄道を撮影
⇒阿木駅と明智駅(←今ここ)
山岡から阿木へ移動し、撮り鉄活動を続けます。
昼食は名古屋駅弁「ひれ味噌かつ重」(ジェイアール東海パッセンジャーズ・950円)を、山岡駅のベンチでいただきました。幸いにも近くの酒屋でビールも入手することができました。しかし次回は是非とも、山岡駅「かんてんかん」で寒天料理を食したいものです。
山岡からは急行「大正ロマン号」に乗車します。この列車は車内で食事ができる寒天列車等食堂車の連結があり最長4連で運転されるそうですが、今日に限って増結はなく単行運転となっていました。撮り鉄的には2連以上が好ましく、これは事前調査を怠った痛恨のミスです。
駅舎の一部に歯科医院が入居している阿木駅です。駅舎に隣接(右)して自治体整備のお手洗いがあります。
古いながらも清掃等が行き届いている待合室です。
1985年(昭和60年)の明知鉄道転換時に交換設備は撤去されましたが、ホームやレールはそのまま残されています。
阿木駅の構内で消防団の倉庫として使用されているアケチ2です。貨物ホームがあった場所でしょうか。
阿木駅に到着した明智行急行「大正ロマン号」を、駅南側の道路から望遠レンズで撮影します。やはり2連~4連での運行時に撮影したいものです。しかも撮影時に限って太陽が隠れてしまい…残念です。(2020.8.15 12:43)
同じく阿木駅を発車した恵那行を後追いで撮影します。(2020.8.15 13:06)
撮り鉄活動はここで終了ですが、一日乗車券がありまだ時間も早いことから、終点の明智駅まで往復することにします。
明智駅です。土曜日ということで観光客の姿も見られました。
35年前に第3セクターへ転換された直後の明智駅です。同じ建物ながら、現在は綺麗に手が加えられ駅前広場も整備されました。(1985.12.15)
唯一のクロスシート車だったアケチ12は、アケチ102の導入に伴い2018年に廃車となり、明智駅構内に留置されています。20年の活躍期間でした。
1990年に増備されたアケチ6(左)はアケチ101により置き換えられ、2017年の廃車後も明智駅構内に留置されています。そして構内では圧縮空気式で復活した蒸気機関車C12244による乗車体験が年に数回実施されていますが、普段は検修庫内に留置されその姿を見ることができないのは残念、観光資源ともなるお宝につき常時公開を望みたいです。 (2020.8.15 15:07)
同じアケチ1形の現役当時の写真です。岩村駅に停車中の明知鉄道アケチ5号で、第3セクター鉄道として再出発し1か月余りの姿です。このアケチ5号は1999年に廃車となり、稼働期間は14年でした。(1985.12.21)
そして更にその前、国鉄明知線時代は急勾配線区対応2エンジンのキハ52が運行されていました。上の写真と同じく岩村駅に停車中の恵那行で、先頭は美濃太田機関区配置のキハ52-136です。(1985.7.21)
15:15発恵那行は出発前にヘッドマーク取り替え、折り返し恵那発明智行で郵便物の搬送が実施されていました。(2020.8.15 15:08)
岩村駅手前の車窓風景です。明知鉄道沿線は里山風景が美しく、田園も雑草が少なくとても手入れが行き届いている印象でした。(2020.8.15 15:33)
前述のとおり、郵便物のボックスを積んで恵那駅を発車した明智行を後追いで撮影。 (2020.8.15 16:14)
恵那16:31発名古屋行は10両のうち中間の3両が313系、両端が211系という編成で、もちろん313系のクロスシートに腰掛けました。(2020.8.15 16:31)
名古屋から日帰り「鉄旅」として最適な明知鉄道、集落を峠越えで結ぶ車窓風景は変化に富んでいて飽きることがありません。次は明智駅構内で保存されている蒸気機関車C12244の乗車体験イベントに合わせて、その動く姿を見物しつつまた訪問させていただきます。
(今回の旅はこれでオシマイ)
阿木駅を発車した急行「大正ロマン号」をホーム端から後追い撮影。停車駅が少ない以外は通常のワンマン列車と同じで、片手で数えられる程度の乗客数でした。(2020.8.15 11:59) 。以下、2ページに渡って、明知鉄道の訪問記をお伝えいたします。
⇒田んぼdeアートの明知鉄道を撮影
⇒阿木駅と明智駅(←今ここ)
阿木駅で撮影
山岡から阿木へ移動し、撮り鉄活動を続けます。
昼食は名古屋駅弁「ひれ味噌かつ重」(ジェイアール東海パッセンジャーズ・950円)を、山岡駅のベンチでいただきました。幸いにも近くの酒屋でビールも入手することができました。しかし次回は是非とも、山岡駅「かんてんかん」で寒天料理を食したいものです。
山岡からは急行「大正ロマン号」に乗車します。この列車は車内で食事ができる寒天列車等食堂車の連結があり最長4連で運転されるそうですが、今日に限って増結はなく単行運転となっていました。撮り鉄的には2連以上が好ましく、これは事前調査を怠った痛恨のミスです。
駅舎の一部に歯科医院が入居している阿木駅です。駅舎に隣接(右)して自治体整備のお手洗いがあります。
古いながらも清掃等が行き届いている待合室です。
1985年(昭和60年)の明知鉄道転換時に交換設備は撤去されましたが、ホームやレールはそのまま残されています。
阿木駅の構内で消防団の倉庫として使用されているアケチ2です。貨物ホームがあった場所でしょうか。
阿木駅に到着した明智行急行「大正ロマン号」を、駅南側の道路から望遠レンズで撮影します。やはり2連~4連での運行時に撮影したいものです。しかも撮影時に限って太陽が隠れてしまい…残念です。(2020.8.15 12:43)
同じく阿木駅を発車した恵那行を後追いで撮影します。(2020.8.15 13:06)
終点、明智駅
撮り鉄活動はここで終了ですが、一日乗車券がありまだ時間も早いことから、終点の明智駅まで往復することにします。
明智駅です。土曜日ということで観光客の姿も見られました。
35年前に第3セクターへ転換された直後の明智駅です。同じ建物ながら、現在は綺麗に手が加えられ駅前広場も整備されました。(1985.12.15)
唯一のクロスシート車だったアケチ12は、アケチ102の導入に伴い2018年に廃車となり、明智駅構内に留置されています。20年の活躍期間でした。
1990年に増備されたアケチ6(左)はアケチ101により置き換えられ、2017年の廃車後も明智駅構内に留置されています。そして構内では圧縮空気式で復活した蒸気機関車C12244による乗車体験が年に数回実施されていますが、普段は検修庫内に留置されその姿を見ることができないのは残念、観光資源ともなるお宝につき常時公開を望みたいです。 (2020.8.15 15:07)
同じアケチ1形の現役当時の写真です。岩村駅に停車中の明知鉄道アケチ5号で、第3セクター鉄道として再出発し1か月余りの姿です。このアケチ5号は1999年に廃車となり、稼働期間は14年でした。(1985.12.21)
そして更にその前、国鉄明知線時代は急勾配線区対応2エンジンのキハ52が運行されていました。上の写真と同じく岩村駅に停車中の恵那行で、先頭は美濃太田機関区配置のキハ52-136です。(1985.7.21)
15:15発恵那行は出発前にヘッドマーク取り替え、折り返し恵那発明智行で郵便物の搬送が実施されていました。(2020.8.15 15:08)
岩村駅手前の車窓風景です。明知鉄道沿線は里山風景が美しく、田園も雑草が少なくとても手入れが行き届いている印象でした。(2020.8.15 15:33)
前述のとおり、郵便物のボックスを積んで恵那駅を発車した明智行を後追いで撮影。 (2020.8.15 16:14)
恵那16:31発名古屋行は10両のうち中間の3両が313系、両端が211系という編成で、もちろん313系のクロスシートに腰掛けました。(2020.8.15 16:31)
名古屋から日帰り「鉄旅」として最適な明知鉄道、集落を峠越えで結ぶ車窓風景は変化に富んでいて飽きることがありません。次は明智駅構内で保存されている蒸気機関車C12244の乗車体験イベントに合わせて、その動く姿を見物しつつまた訪問させていただきます。
【乗車記録】 ・山岡11:39→阿木11:58 アケチ14 1両 ・阿木14:04→明智14:35 アケチ102 1両 ・明智15:15→恵那16:04 アケチ102 1両 ・恵那16:31→名古屋17:38 クモハ313-1508 10両 |
(今回の旅はこれでオシマイ)