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只見線と代行バスの旅(その7):大糸線・糸魚川駅から南小谷駅まで乗車
主に青春18きっぷを利用した「駅弁」と少し「呑み鉄」、そして時々「撮り鉄」の旅を名古屋からお届けします。
昨年(2016年)12月、只見線を旅したのですが、会津若松から乗車したところ、倒木により只見~小出間が運休となり、会津川口から引き返すという事態になりました。無念でした。
このままでは成仏できません。(?) そこで2017年4月、余った青春18きっぷを利用して、再び只見線乗車にチャレンジしてきました。
⇒ホームライナー静岡&熱海発黒磯行き・直通列車の旅
⇒1日目に食べた駅弁
⇒只見線・会津川口まで乗車
⇒只見線・不通区間の代行バスの旅
⇒只見線・只見駅から小出駅まで乗車
⇒小出から糸魚川まで北陸本線ルートで移動
⇒大糸線・糸魚川駅から南小谷駅まで乗車(←今ここ)
⇒南小谷駅から名古屋まで帰宅
⇒2日目に食べた駅弁
なお、2018年12月に、大糸線沿線で撮影を行っています。その時の記録は下記のページにまとめておりますので、合わせて参考にしていただければと思います。
⇒参考:大糸線を走るE257系の撮影
朝、会津若松を出発し、只見線、大糸線を経由して、名古屋まで普通列車のみでその日のうちに到着できるとは、とても意外でした。ある意味、順当な行程とも言える飯山線経由だと塩尻駅であと3分の差で接続できず、名古屋まで行けないというのも、逆の意味で意外でした。
ということで、今回の旅では「おまけ」のような感じとなった大糸線、乗車するのは久々です。大糸線非電化区間(糸魚川~南小谷)にキハ52が運用されていた頃が最後なので、7年ぶりの乗車ということになります。
2010年3月まで大糸線で活躍した3両のキハ52は津山、糸魚川で保存され、いすみ鉄道では動態保存されていることは、ご存知のとおりです。写真は糸魚川駅駅舎1階の高架下施設「糸魚川ジオステーション ジオパル」にて、静態保存されているキハ52-156です。(2015.2.28撮影)
このキハ52はイベント時には左下の線路を利用し、屋外で展示されます。新幹線の駅舎がある場所には、以前はレンガ造の車庫がありました。その車庫の正面壁面部分が新駅舎に復元設置(左下)されています。(2015.2.28撮影)
上の写真を撮影したちょうど5年前、レンガ車庫とキハ52のお別れを記念して撮影会が実施されました。この場所は新幹線の駅舎となり、駅前広場も整備されて現在はその面影はありません。この3両のキハ52は全車、何らかの形で保存されているのは嬉しいことです。なおこの時間帯、大糸線用のキハ52が全てここにいることから、大糸線の列車はキハ58で運行されていました。(2010.2.28撮影)
北越急行色の681系も懐かしい、糸魚川駅に到着する「はくたか号」です。(2015.2.28撮影)
糸魚川駅では4分の好接続、残念ながら静態保存されているキハ52-156を見物する時間はありません。 さて列車内のお客さんは13名、旅行者が大半のようですが、18きっぷの時期にしては少ないように感じます。
北陸本線が第3セクター化されてしまった影響もあるのでしょうか。反面、新幹線開通で糸魚川へのアクセスは格段に向上していますが、白馬や大町へは松本経由あるいは長野からのバスが便利なので、糸魚川からの大糸線利用増には、必ずしも結び付いていないようです。
南小谷行はキハ120の単行。「がんばろう!糸魚川」のヘッドマーク付き、大火事があったことはまだ記憶に新しいです。
木造駅舎が残る頸城大野駅で、ご婦人が1名下車。乗客は100%旅行者となりました。沿線の風景は7年前とほとんど変わっていません。(2017.4.2 15:22)
大糸線非電化区間唯一の交換駅、根知駅で糸魚川行下り列車と交換します。根知駅を過ぎると列車は姫川の流れとともに、山間部へと進みます。この付近では積雪はありません。(2017.4.2 15:29)
最後の活躍をするキハ52を根知駅で撮影。朝8時半頃の列車交換です。列車本数は変わっていないようですが、現在、朝の列車交換はありません。(2009.10.22撮影)
木造駅舎が残るものの、交換設備が撤去されている小滝駅。(2017.4.2 15:36)
小滝駅から歩いて行ける場所に「お立ち台」がありました。林道から山の斜面に少し入った場所と記憶していますが、今でも撮影する方はいるのでしょうか。奥が根知駅方面、右側にトンネルがあり、再度鉄橋を渡ると小滝駅です。 (2009.10.22撮影)
小滝~平岩間の列車後部からの眺め。徐行区間が続きます。 (2017.4.2 15:48)
列車後部から撮影した平岩駅。側線があり折り返し列車もありますが、交換設備としては使用されていません。(2017.4.2 15:51)
小さな駅舎がある北小谷駅。ここで登山客が1名乗車されました。途中駅での唯一の乗車客です。スキー列車「シュプール号」運行に伴い設置された交換設備は、完全に撤去されています。(2017.4.2 16:01)
大糸線の普通列車は、キハ52の前はキハ58系の2両編成で運転されていました。それでも、それなりにお客さんが乗っていたように記憶しています。北小谷~平岩で撮影。(1990.2.15撮影)
私がナウなヤングの頃は、バブル景気の中、空前のスキーブームでした。大糸線には関西方面から糸魚川経由で「シュプール号」が多数運転されていました。この写真の「シュプール号」も、14系客車でDLプッシュプルという、今振り返ると夢のような豪華列車(?)です。北小谷~平岩で撮影、奥に北小谷駅が見えます。驚くことに、当時は有人駅で、更に驚くべきことに(?)、この前日は私も栂池でスキーを楽しんでいたのでした。 (1990.2.15撮影)
中土駅には木造駅舎と2本の線路がありますが、ここも交換設備としては使用されていません。(2017.4.2 16:11)
終点の南小谷駅に近づくと、雪が深くなります。過去の経験上、糸魚川で曇っていても、この辺りに来ると晴れることが多いような気がします。(2017.4.2 16:15)
16:16に南小谷到着。4分の待ち合わせで、左側のE127系2両編成に乗り換えます。客さんもほぼ全員が乗り換えます。
こちらは27年前の南小谷駅です。車両は変わりましたが、駅自体は大きく変わっていないようです。(1990.2.15撮影)
前述のとおり、約7年振りの大糸線乗車でしたが、その車窓風景は期待を裏切らない、素晴らしいものでした。とともに川沿いの崖を通過する場所や、数多くの鉄橋などから地形の険しさも再認識しました。
過去には水害等により長期間不通となったこともあり、この車窓風景を楽しめるうちに、機会を設けて幾度でも乗車したいものです。
今回も過去の写真を掲載させていただきました。車窓風景に大きな変化はなさそうですが、車両は全て置き換えられました。そして往時を思い出し、今回の乗車と比較すると、急激な乗客の減少には言葉を失います。
「シュプール号」が行き交った27年前はもとより、7年前の乗車時(キハ52人気もあったでしょうが・・・)より確実に乗客減が進んでいるようで、先行きに一抹の不安を感じました。
⇒次・南小谷駅から名古屋まで帰宅
昨年(2016年)12月、只見線を旅したのですが、会津若松から乗車したところ、倒木により只見~小出間が運休となり、会津川口から引き返すという事態になりました。無念でした。
このままでは成仏できません。(?) そこで2017年4月、余った青春18きっぷを利用して、再び只見線乗車にチャレンジしてきました。
⇒ホームライナー静岡&熱海発黒磯行き・直通列車の旅
⇒1日目に食べた駅弁
⇒只見線・会津川口まで乗車
⇒只見線・不通区間の代行バスの旅
⇒只見線・只見駅から小出駅まで乗車
⇒小出から糸魚川まで北陸本線ルートで移動
⇒大糸線・糸魚川駅から南小谷駅まで乗車(←今ここ)
⇒南小谷駅から名古屋まで帰宅
⇒2日目に食べた駅弁
【乗車記録】 ・糸魚川15:14→南小谷16:16 キハ120-329 1両 |
なお、2018年12月に、大糸線沿線で撮影を行っています。その時の記録は下記のページにまとめておりますので、合わせて参考にしていただければと思います。
⇒参考:大糸線を走るE257系の撮影
大糸線のキハ52の思い出など
朝、会津若松を出発し、只見線、大糸線を経由して、名古屋まで普通列車のみでその日のうちに到着できるとは、とても意外でした。ある意味、順当な行程とも言える飯山線経由だと塩尻駅であと3分の差で接続できず、名古屋まで行けないというのも、逆の意味で意外でした。
ということで、今回の旅では「おまけ」のような感じとなった大糸線、乗車するのは久々です。大糸線非電化区間(糸魚川~南小谷)にキハ52が運用されていた頃が最後なので、7年ぶりの乗車ということになります。
2010年3月まで大糸線で活躍した3両のキハ52は津山、糸魚川で保存され、いすみ鉄道では動態保存されていることは、ご存知のとおりです。写真は糸魚川駅駅舎1階の高架下施設「糸魚川ジオステーション ジオパル」にて、静態保存されているキハ52-156です。(2015.2.28撮影)
このキハ52はイベント時には左下の線路を利用し、屋外で展示されます。新幹線の駅舎がある場所には、以前はレンガ造の車庫がありました。その車庫の正面壁面部分が新駅舎に復元設置(左下)されています。(2015.2.28撮影)
上の写真を撮影したちょうど5年前、レンガ車庫とキハ52のお別れを記念して撮影会が実施されました。この場所は新幹線の駅舎となり、駅前広場も整備されて現在はその面影はありません。この3両のキハ52は全車、何らかの形で保存されているのは嬉しいことです。なおこの時間帯、大糸線用のキハ52が全てここにいることから、大糸線の列車はキハ58で運行されていました。(2010.2.28撮影)
北越急行色の681系も懐かしい、糸魚川駅に到着する「はくたか号」です。(2015.2.28撮影)
糸魚川から大糸線に乗車
糸魚川駅では4分の好接続、残念ながら静態保存されているキハ52-156を見物する時間はありません。 さて列車内のお客さんは13名、旅行者が大半のようですが、18きっぷの時期にしては少ないように感じます。
北陸本線が第3セクター化されてしまった影響もあるのでしょうか。反面、新幹線開通で糸魚川へのアクセスは格段に向上していますが、白馬や大町へは松本経由あるいは長野からのバスが便利なので、糸魚川からの大糸線利用増には、必ずしも結び付いていないようです。
南小谷行はキハ120の単行。「がんばろう!糸魚川」のヘッドマーク付き、大火事があったことはまだ記憶に新しいです。
木造駅舎が残る頸城大野駅で、ご婦人が1名下車。乗客は100%旅行者となりました。沿線の風景は7年前とほとんど変わっていません。(2017.4.2 15:22)
大糸線非電化区間唯一の交換駅、根知駅で糸魚川行下り列車と交換します。根知駅を過ぎると列車は姫川の流れとともに、山間部へと進みます。この付近では積雪はありません。(2017.4.2 15:29)
最後の活躍をするキハ52を根知駅で撮影。朝8時半頃の列車交換です。列車本数は変わっていないようですが、現在、朝の列車交換はありません。(2009.10.22撮影)
木造駅舎が残るものの、交換設備が撤去されている小滝駅。(2017.4.2 15:36)
小滝駅から歩いて行ける場所に「お立ち台」がありました。林道から山の斜面に少し入った場所と記憶していますが、今でも撮影する方はいるのでしょうか。奥が根知駅方面、右側にトンネルがあり、再度鉄橋を渡ると小滝駅です。 (2009.10.22撮影)
小滝~平岩間の列車後部からの眺め。徐行区間が続きます。 (2017.4.2 15:48)
列車後部から撮影した平岩駅。側線があり折り返し列車もありますが、交換設備としては使用されていません。(2017.4.2 15:51)
小さな駅舎がある北小谷駅。ここで登山客が1名乗車されました。途中駅での唯一の乗車客です。スキー列車「シュプール号」運行に伴い設置された交換設備は、完全に撤去されています。(2017.4.2 16:01)
大糸線の普通列車は、キハ52の前はキハ58系の2両編成で運転されていました。それでも、それなりにお客さんが乗っていたように記憶しています。北小谷~平岩で撮影。(1990.2.15撮影)
私がナウなヤングの頃は、バブル景気の中、空前のスキーブームでした。大糸線には関西方面から糸魚川経由で「シュプール号」が多数運転されていました。この写真の「シュプール号」も、14系客車でDLプッシュプルという、今振り返ると夢のような豪華列車(?)です。北小谷~平岩で撮影、奥に北小谷駅が見えます。驚くことに、当時は有人駅で、更に驚くべきことに(?)、この前日は私も栂池でスキーを楽しんでいたのでした。 (1990.2.15撮影)
中土駅には木造駅舎と2本の線路がありますが、ここも交換設備としては使用されていません。(2017.4.2 16:11)
終点の南小谷駅に近づくと、雪が深くなります。過去の経験上、糸魚川で曇っていても、この辺りに来ると晴れることが多いような気がします。(2017.4.2 16:15)
16:16に南小谷到着。4分の待ち合わせで、左側のE127系2両編成に乗り換えます。客さんもほぼ全員が乗り換えます。
こちらは27年前の南小谷駅です。車両は変わりましたが、駅自体は大きく変わっていないようです。(1990.2.15撮影)
前述のとおり、約7年振りの大糸線乗車でしたが、その車窓風景は期待を裏切らない、素晴らしいものでした。とともに川沿いの崖を通過する場所や、数多くの鉄橋などから地形の険しさも再認識しました。
過去には水害等により長期間不通となったこともあり、この車窓風景を楽しめるうちに、機会を設けて幾度でも乗車したいものです。
今回も過去の写真を掲載させていただきました。車窓風景に大きな変化はなさそうですが、車両は全て置き換えられました。そして往時を思い出し、今回の乗車と比較すると、急激な乗客の減少には言葉を失います。
「シュプール号」が行き交った27年前はもとより、7年前の乗車時(キハ52人気もあったでしょうが・・・)より確実に乗客減が進んでいるようで、先行きに一抹の不安を感じました。
⇒次・南小谷駅から名古屋まで帰宅