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餘部駅で餘部橋梁を行く列車を撮影、そして鳥取から名古屋に至る長い乗り鉄
主に青春18きっぷを利用した「駅弁」と少し「呑み鉄」、そして時々「撮り鉄」の旅を名古屋からお届けします。この夏(2017年)は、木次線「奥出雲おろち号」と若桜鉄道の旅をしてきました。
今回の撮影旅行は、いくつかのページに分割して、ご紹介しています。ご興味のあるところをクリックして頂いて、それぞれのページに進んでください。
⇒米子駅と宍道駅で朝の撮り鉄活動
⇒木次駅でトロッコ列車「奥出雲おろち号」に乗って木次線を旅する
⇒出雲坂根駅のスイッチバックと木次線の大展望
⇒備後落合駅で過ごす2時間
⇒芸備線・備後落合から新見までの旅
⇒津山駅から郡家駅まで、因美線に乗車
⇒「鉄道ファンとライダーの聖地」若桜鉄道隼駅へ
⇒若桜鉄道の若桜駅へ・SLなども見学
⇒餘部駅で餘部橋梁を行く列車を撮影(←今ここ)
12:11に鳥取駅到着後は、山陰本線に乗り換え餘部駅に向かう予定。8分の待ち合わせで城崎温泉行(キハ47の2連)に乗ることが出来ますが、駅弁を物色するため、1本落として、次の13:18発の浜坂行に乗車することにします。
鳥取駅に到着した若桜鉄道車両です。(2017.9.2 12:13)
P氏(当サイト管理人)はその昔、「出張鉄」で寝台特急「出雲」に乗車(羨ましい!!)し、その折に鳥取駅で駅弁を購入したことがあるそうです。以後、通販で鳥取駅弁を購入したことはあるそうですが、現地で買うのは「出雲」乗車時以来とのこと。
改札口外の駅弁売店は迷うほど種類が豊富で、P氏は狂喜乱舞で嬉しい悲鳴です。私もP氏がまだ口にしていない駅弁を購入し、その研究に協力します。
13:18発浜坂行はキハ121の単行。鳥取発車時には通路まで立ち客多数でしたが、岩美駅にて降りる方が多く、車内はガラガラになってしまいました。トンネルとトンネルの間に駅と集落が現れ、車窓左手には日本海も見え隠れして、味わい深い風景が続きます。
ところでこの辺りは「高規格道路・浜坂道路」の整備が進んでいるそうで、山側を長いトンネルでショートカットする道路は、山陰本線の車窓風景を壊すことはなさそうですが、自動車の利便性向上は脅威となりそうです。浜坂でキハ47系2連の城崎温泉行に乗り換え、私にとっては今回の旅の最終目的地である餘部駅に14:36到着です。
浜坂駅到着時に撮影した、鳥取から乗車したキハ121系単行ワンマン列車です。この区間はキハ47の2連で運行されていると思っていたら、キハ121も運用されているのですね。
餘部駅で、ここまで乗ってきた城崎温泉行を後追いで撮影。餘部駅を発車すると、列車は余部橋梁を渡ります。線路の左側には、一部旧橋脚を利用した展望施設があります。
餘部駅ホームから橋梁方面を望みます。左側の線路は旧鉄橋に続いていたレールで、もちろん現在は使用されておらず、歩くことも可能です。
旧橋脚を利用した展望施設「空の駅」は、現在、地元香美町によりエレベーターの設置工事中で立ち入りできません。このエレベーターは「余部クリスタルタワー」として本年(2017年)11月26日(日)正午から一般利用が開始されるとのことです。
この日は段々と雲が多くなってきましたが、晴れ間には余部の集落と日本海が美しい表情を見せてくれます。
駅から下の集落へは、舗装された「登山道」といっても過言ではない長い坂道を下ります。
余部鉄橋は1912年(明治45年)の完成から約100年間後の2010年(平成22年)、コンクリート橋に架け替えられましたが、駅側の3本の橋脚が保存され、2013年(平成25年)から余部鉄橋「空の駅」展望施設として利用されています。前述のとおり、現在はエレベーター設置工事のため先端部には立ち入りできません。 今年(2017年)11月の完成後のエレベーター供用時間はまだわかりませんが、朝晩も利用できたなら、通勤通学や通院で列車を利用する方にとっては朗報となることでしょう。
橋梁下にある「道の駅 あまるべ」です。近すぎて、橋梁全体を撮影することはできませんでした。なお、駅ホームにあるお手洗いは男女別で個室が各1室のみなので、混雑時には道の駅のお手洗いを利用した方が良さそうです。
さて、余部橋梁といえば、列車撮影の「お立ち台」(撮影場所)を忘れてはなりません。撮る方に関しては、余り興味がないP氏には申し訳ないのですが、時間もあることですし、ここで撮影活動を行うことにします。
「お立ち台」は距離的には、餘部駅ホームから程近い場所にあるのですが、線路を挟んで反対側ということもあり、一旦集落への「登山道」を「5合目」付近まで下り、分岐点から別の「登山道」を上った地点にあります。
「お立ち台」としては異例で、地元香美町により、斜面の樹木の伐採や土留め、取り付け「登山道」の舗装や柵の設置等、公式(?)な撮影場所としてよく整備されています。これなら「撮り鉄」のみならず、一般の観光客も手軽に展望を楽しむことが出来ます。本日も数名の方が「お立ち台」にいらっしゃいますが、いわゆる「撮り鉄」は私だけのようです。
なお驚くべきことに、P氏はこうした「撮り鉄」的撮影活動は初体験とのこと。公式に整備された「お立ち台」はそうそうあるものではなく、P氏にとっては非常に恵まれた「撮り鉄」デビューとなりました。
線路の山側斜面が「お立ち台」(撮影場所)です。ホームから至近ながら、「登山道」を上下する必要があり、意外に遠いです。
「撮り鉄」デビューのP氏。橋梁を一望できる撮影場所は斜面に整備されており、アングルを選ばなければ、多くの人数が収容できそうです。「トワイライトエクスプレス瑞風」通過時には、多くの方で賑わうことでしょう。空いていれば、ここで駅弁を味わうのもよさそうです。
臨時快速列車「山陰海岸ジオライナー号」鳥取行です。快速列車ながら、餘部駅にも停車します。(2017.9.2 15:19)
177D列車、浜坂行です。この区間の普通列車はキハ47で運行されています。 順光となる予定でしたが、雲が厚くなり晴れ間はなくなってしまいました。(2017.9.2 15:38)
動画にてご紹介すると、こんな感じになります。
⇒参考:餘部橋梁も見渡せるトレインビュー旅館・あまるべ(余部)旬の宿 尾崎屋
餘部駅から乗車した豊岡行の乗客はほぼ旅行者、クロスシート部分は埋まっており、ロングシートに腰掛けます。香住で高校生、城崎温泉では更に旅行者が増えます。
豊岡で乗り換えた福知山行は、そのまま旅行者が乗り継ぎ、さらに試合帰りの部活高校生等で立ち客多数、八鹿で一部乗客が入れ替わった後は下車が続き、和田山で旅行者が播但線に流れると、空席が目立つようになります。
餘部駅16:17発の豊岡行が到着。これから名古屋まで7時間余りの長い旅が始まります。(2017.9.2 16:16)
18:49着の福知山でP氏とはお別れ。氏は福知山でアールイン福知山に宿泊(もちろんトレインビューホテル)し、明日は舞鶴、敦賀、米原経由で帰京するとのこと。氏の1週間にわたる18きっぷの旅。羨ましくも、その気力と体力には恐れ入るばかりです。列車乗車中もトレインビューホテルの探索に余念がない姿は、まさにその道の求道者であり、神々しくさえありました。
それに対し私はビールを飲んで、ほぼ半分は惰眠というていたらく。これはこれで列車ならではの旅の楽しみ方とも言えましょうが、まったく神々しくない愚民でございます。
福知山発園部行は2両編成のワンマン列車。終点まで極めてすいていました。さすがにここ福知山以降の車窓は、完全に闇となりました。
無事、名古屋駅に到着。今季の青春18きっぷ、満願成就でございます。
ひとり旅に慣れている私ですが、今回、途中からひとり旅となった福知山からは名古屋までの時間は、非常に長く感じられました。しかし、そのお陰で文庫本を3冊も読破することができましたが。
下記の乗車記録のとおり、名古屋着は最終列車に近く、遅延等によりどこかで乗り継ぎに失敗すると、帰宅できなくなるという「机上の空論」「砂上の楼閣」的な行程であり、どこぞで「宿泊」という事態になる危険と紙一重のものでした。
結果として無事帰宅できたわけですが、日本の鉄道の時間に正確な運行を実感するとともに、それを支えている皆様に感謝申し上げる次第です。
途中、京都駅でビールを購入、野洲で乗り換えた米原行列車内で鳥取大砂丘かに幕の内をいただきました。お値段も味も非常に贅沢なお弁当でした。かように堕落した旅も、また醍醐味と言えましょう。
左上に入っているのは、赤魚の竜田揚げです。これは「かに幕の内」の隠れた「名物」です。
(今回の旅はこれでおしまい)
今回の撮影旅行は、いくつかのページに分割して、ご紹介しています。ご興味のあるところをクリックして頂いて、それぞれのページに進んでください。
⇒米子駅と宍道駅で朝の撮り鉄活動
⇒木次駅でトロッコ列車「奥出雲おろち号」に乗って木次線を旅する
⇒出雲坂根駅のスイッチバックと木次線の大展望
⇒備後落合駅で過ごす2時間
⇒芸備線・備後落合から新見までの旅
⇒津山駅から郡家駅まで、因美線に乗車
⇒「鉄道ファンとライダーの聖地」若桜鉄道隼駅へ
⇒若桜鉄道の若桜駅へ・SLなども見学
⇒餘部駅で餘部橋梁を行く列車を撮影(←今ここ)
鳥取から餘部へ
12:11に鳥取駅到着後は、山陰本線に乗り換え餘部駅に向かう予定。8分の待ち合わせで城崎温泉行(キハ47の2連)に乗ることが出来ますが、駅弁を物色するため、1本落として、次の13:18発の浜坂行に乗車することにします。
鳥取駅に到着した若桜鉄道車両です。(2017.9.2 12:13)
P氏(当サイト管理人)はその昔、「出張鉄」で寝台特急「出雲」に乗車(羨ましい!!)し、その折に鳥取駅で駅弁を購入したことがあるそうです。以後、通販で鳥取駅弁を購入したことはあるそうですが、現地で買うのは「出雲」乗車時以来とのこと。
改札口外の駅弁売店は迷うほど種類が豊富で、P氏は狂喜乱舞で嬉しい悲鳴です。私もP氏がまだ口にしていない駅弁を購入し、その研究に協力します。
13:18発浜坂行はキハ121の単行。鳥取発車時には通路まで立ち客多数でしたが、岩美駅にて降りる方が多く、車内はガラガラになってしまいました。トンネルとトンネルの間に駅と集落が現れ、車窓左手には日本海も見え隠れして、味わい深い風景が続きます。
ところでこの辺りは「高規格道路・浜坂道路」の整備が進んでいるそうで、山側を長いトンネルでショートカットする道路は、山陰本線の車窓風景を壊すことはなさそうですが、自動車の利便性向上は脅威となりそうです。浜坂でキハ47系2連の城崎温泉行に乗り換え、私にとっては今回の旅の最終目的地である餘部駅に14:36到着です。
浜坂駅到着時に撮影した、鳥取から乗車したキハ121系単行ワンマン列車です。この区間はキハ47の2連で運行されていると思っていたら、キハ121も運用されているのですね。
餘部駅で、ここまで乗ってきた城崎温泉行を後追いで撮影。餘部駅を発車すると、列車は余部橋梁を渡ります。線路の左側には、一部旧橋脚を利用した展望施設があります。
餘部駅ホームから橋梁方面を望みます。左側の線路は旧鉄橋に続いていたレールで、もちろん現在は使用されておらず、歩くことも可能です。
旧橋脚を利用した展望施設「空の駅」は、現在、地元香美町によりエレベーターの設置工事中で立ち入りできません。このエレベーターは「余部クリスタルタワー」として本年(2017年)11月26日(日)正午から一般利用が開始されるとのことです。
この日は段々と雲が多くなってきましたが、晴れ間には余部の集落と日本海が美しい表情を見せてくれます。
駅から下の集落へは、舗装された「登山道」といっても過言ではない長い坂道を下ります。
余部鉄橋は1912年(明治45年)の完成から約100年間後の2010年(平成22年)、コンクリート橋に架け替えられましたが、駅側の3本の橋脚が保存され、2013年(平成25年)から余部鉄橋「空の駅」展望施設として利用されています。前述のとおり、現在はエレベーター設置工事のため先端部には立ち入りできません。 今年(2017年)11月の完成後のエレベーター供用時間はまだわかりませんが、朝晩も利用できたなら、通勤通学や通院で列車を利用する方にとっては朗報となることでしょう。
橋梁下にある「道の駅 あまるべ」です。近すぎて、橋梁全体を撮影することはできませんでした。なお、駅ホームにあるお手洗いは男女別で個室が各1室のみなので、混雑時には道の駅のお手洗いを利用した方が良さそうです。
餘部橋梁を見渡す撮影地にて撮影
さて、余部橋梁といえば、列車撮影の「お立ち台」(撮影場所)を忘れてはなりません。撮る方に関しては、余り興味がないP氏には申し訳ないのですが、時間もあることですし、ここで撮影活動を行うことにします。
「お立ち台」は距離的には、餘部駅ホームから程近い場所にあるのですが、線路を挟んで反対側ということもあり、一旦集落への「登山道」を「5合目」付近まで下り、分岐点から別の「登山道」を上った地点にあります。
「お立ち台」としては異例で、地元香美町により、斜面の樹木の伐採や土留め、取り付け「登山道」の舗装や柵の設置等、公式(?)な撮影場所としてよく整備されています。これなら「撮り鉄」のみならず、一般の観光客も手軽に展望を楽しむことが出来ます。本日も数名の方が「お立ち台」にいらっしゃいますが、いわゆる「撮り鉄」は私だけのようです。
なお驚くべきことに、P氏はこうした「撮り鉄」的撮影活動は初体験とのこと。公式に整備された「お立ち台」はそうそうあるものではなく、P氏にとっては非常に恵まれた「撮り鉄」デビューとなりました。
線路の山側斜面が「お立ち台」(撮影場所)です。ホームから至近ながら、「登山道」を上下する必要があり、意外に遠いです。
「撮り鉄」デビューのP氏。橋梁を一望できる撮影場所は斜面に整備されており、アングルを選ばなければ、多くの人数が収容できそうです。「トワイライトエクスプレス瑞風」通過時には、多くの方で賑わうことでしょう。空いていれば、ここで駅弁を味わうのもよさそうです。
臨時快速列車「山陰海岸ジオライナー号」鳥取行です。快速列車ながら、餘部駅にも停車します。(2017.9.2 15:19)
177D列車、浜坂行です。この区間の普通列車はキハ47で運行されています。 順光となる予定でしたが、雲が厚くなり晴れ間はなくなってしまいました。(2017.9.2 15:38)
動画にてご紹介すると、こんな感じになります。
⇒参考:餘部橋梁も見渡せるトレインビュー旅館・あまるべ(余部)旬の宿 尾崎屋
餘部から名古屋までの長い乗り鉄
餘部駅から乗車した豊岡行の乗客はほぼ旅行者、クロスシート部分は埋まっており、ロングシートに腰掛けます。香住で高校生、城崎温泉では更に旅行者が増えます。
豊岡で乗り換えた福知山行は、そのまま旅行者が乗り継ぎ、さらに試合帰りの部活高校生等で立ち客多数、八鹿で一部乗客が入れ替わった後は下車が続き、和田山で旅行者が播但線に流れると、空席が目立つようになります。
餘部駅16:17発の豊岡行が到着。これから名古屋まで7時間余りの長い旅が始まります。(2017.9.2 16:16)
18:49着の福知山でP氏とはお別れ。氏は福知山でアールイン福知山に宿泊(もちろんトレインビューホテル)し、明日は舞鶴、敦賀、米原経由で帰京するとのこと。氏の1週間にわたる18きっぷの旅。羨ましくも、その気力と体力には恐れ入るばかりです。列車乗車中もトレインビューホテルの探索に余念がない姿は、まさにその道の求道者であり、神々しくさえありました。
それに対し私はビールを飲んで、ほぼ半分は惰眠というていたらく。これはこれで列車ならではの旅の楽しみ方とも言えましょうが、まったく神々しくない愚民でございます。
福知山発園部行は2両編成のワンマン列車。終点まで極めてすいていました。さすがにここ福知山以降の車窓は、完全に闇となりました。
無事、名古屋駅に到着。今季の青春18きっぷ、満願成就でございます。
ひとり旅に慣れている私ですが、今回、途中からひとり旅となった福知山からは名古屋までの時間は、非常に長く感じられました。しかし、そのお陰で文庫本を3冊も読破することができましたが。
下記の乗車記録のとおり、名古屋着は最終列車に近く、遅延等によりどこかで乗り継ぎに失敗すると、帰宅できなくなるという「机上の空論」「砂上の楼閣」的な行程であり、どこぞで「宿泊」という事態になる危険と紙一重のものでした。
結果として無事帰宅できたわけですが、日本の鉄道の時間に正確な運行を実感するとともに、それを支えている皆様に感謝申し上げる次第です。
途中で、鳥取駅の駅弁「鳥取大砂丘かに幕の内」を賞味
途中、京都駅でビールを購入、野洲で乗り換えた米原行列車内で鳥取大砂丘かに幕の内をいただきました。お値段も味も非常に贅沢なお弁当でした。かように堕落した旅も、また醍醐味と言えましょう。
左上に入っているのは、赤魚の竜田揚げです。これは「かに幕の内」の隠れた「名物」です。
【乗車記録】 ・鳥取13:18→浜坂14:06 キハ121-2 1両 ・浜坂14:21→餘部14:36 キハ47-139 2両 ・餘部16:17→豊岡17:17 キハ47-5 2両 ・豊岡17:33→福知山18:49 クハ222-5506 2両 ・福知山18:55→園部20:10 クハ222-5512 2両 ・園部20:22→京都21:05 サハ221-75 8両 ・京都21:16→野洲21:45 クハ222-2024 12両 ・野洲21:46→米原22:22 サハ220-33 10両 ・米原22:38→大垣23:12 クハ312-5010 6両 ・大垣23:17→名古屋23:53 クハ312-307 8両 |
(今回の旅はこれでおしまい)